不登校の子の多くが、自分自身に悩みを抱えていると思います。自意識が強くなってきて、他人と自分とを比較することが多くなってきた思春期ということもあって、自分が持っている個性が、大したことないように、人と比べてひどく劣っているように思い、自分はなんてダメなんだという自己否定感を持ってしまっている子もいるのでしょう。
ただ、そのすべてが、本当に悩むべきことなのでしょうか。実は、自分が持っている個性に対して、劣等感を持っているのは自分だけで、赤の他人はまったく意識していないこともあるのではないでしょうか。
これは半分笑い話として聞いていただければと思います。薄毛の話なので、もちろん若い人のことではありません。30代から薄毛に悩み始め、どんどん薄くなっていきました。頭頂部が相当に薄くなり、いわゆるザビエルのようになってしまって、その時から薄毛対策をするようになりました。
その甲斐あってか、髪が生え始めてふさふさになりました。周りの人が、そのことを指摘してくれるかと思いきや、誰も全く、濃くなったことに気づかなかった、というのです。ある人をつかまえて、髪の毛が濃くなったのに気づかないかと聞いてみたところ、「あれ、そうだっけ?ハゲだった?」と言われたらしいです。本人はコンプレックスを抱いていたのですが、周りの人の意識は、その人間がコンプレックスを抱いていることに、関心を持っていなかったのです。
不登校の子が抱えている悩み、あるいはコンプレックスは、本当に周囲の人から見てもそう感じることがあるのかもしれません。ですので、そのすべてが、当人しか意識していないとまでは断言しません。
ただ、思春期の高い自意識によって、その子本人しか意識していないものが多いとは思うのです。他の誰もが、まったく気にしていないのです。先ほどの薄毛のケースにもありましたが、他人はそれほど、自分のことを意識していないのです。
このように、高い自意識によって自分自身で悩みを作り出している他に、他人と比較して劣っている、あるいは足りないものがあり、それによって悩みを作り出しているということがあります。この悩みについては、どのように考えればいいのでしょうか。
結構なんでも器用にこなす人はいます。基礎能力が高い人間なのでしょう。子供の時から、勉強に、スポーツに、そして人間関係にと、幅広く何でも器用にこなす人間です。そういう人と比べて、自分は何もできない、何も器用にこなせないと悩んでいる不登校の子は、少なくはないでしょう。
若い時は、あまり努力せず、器用にこなす方がかっこよく見えます。実にスマートです。何かをちょっと努力したら、何でもやれる方がいいことはいいでしょう。
ただ、もう少し後の年齢にならないと理解できないことですが、若い時の能力だけで、人生を切り開き、幸福に生きることができるほど、甘くはないということです。人生の出発点の能力だけでは到底足りず、その後の努力と経験、知識が必要です。
もし、若い時の能力でその後の人生がすべて決まるのでしたら、いわゆる高い学歴を持った人がみな、幸福な人生を生きているのでしょうか。そういう人は学力の面においては、高いものを持っていたでしょう。それでもすべての人が、幸福になれているわけではありません。逆に、あまり勉強が得意でなかった人でも、その後の人生で成功している人はごまんといます。
もちろん、学力だけが人生を決めるというわけではないでしょう。本格的に社会に出てから、どれだけ与えられた環境の中で一生懸命努力したか、誠実に生きたか、他の人のために働き、役に立ったか等が、人生のその後を決定すると思うのです。若い時の能力が高くとも、社会に出てから努力を全く怠ったら、幸福になるのは難しいでしょう。
若い時に能力がなかった、だからその後の人生もダメなんだと決めてしまい、悩むのは早すぎるのです。若い時の能力差は、若い時はそれこそ、天と地ぐらいの差があるように思えますが、社会に出てからふり返ってみると、どんぐりの背比べ程度の差しかないのです。それぐらいの差しかないのに、落ち込むほど悩むのは時間がもったいないです。
悩む時間があるなら、努力をコツコツと重ねることです。なかなか結果は出ないかもしれません。本当の実力となるには、数年、場合によっては十年以上かかることもあるでしょう。それでも前に前に進もうと、努力し続けることで、若い時には想像もできなかったほどの力がつき、自らの人生を輝かせることができると思うのです。
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