本来、勉強は楽しいものです。人類が、長年かかって得たものを知識として得るわけです。人類には知的好奇心が備わっていて、本当にさまざまな分野について知的好奇心を持ってきました。その結果、さまざまなことを発見してきました。
例えばニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て、「どうしてなんだろう?」と疑問に思いました(このエピソードは実際にあったことかどうかは分かっていないそうです。また、ニュートンが万有引力を発見したというよりも、さまざまな科学者たちの発見を体系的にまとめたと表現する方が適切だということです)。そこから思考と実験を重ねて、万有引力の法則を発見しました。この法則は、高校で物理を学べば簡単に知ることができます。
勉強することは、大昔から人類が知的好奇心によって発見したものを、知識として得ることです。大昔の人が、試行錯誤して明らかにしてきたものを知識として得て、それによって考えることです。学校に通っている間は、どうしてもそれらの知識によって、与えられた問題をこなし、その点数で優劣を競うということが問われるのですが、それは表面的なものです。もともと、勉強の奥には、人類の知的好奇心による発見があり、そこには喜びが伴うものです。
「勉強しても、分からないことばかりで、落ち込んでしまう」という子もいるでしょう。正直なところ、勉強が得意な子もいたら、不得意な子もいます。不得意な子からしたら、一生懸命勉強しても、他の子は正解を出せていい点数をとれるのに、自分は分からないし点数は低いとなったら、勉強が嫌になるのは当然です。
ただ、極端なことを書いてしまいますが、点数にあまりこだわる必要はないと私は考えています。子供たちには進学や受験もあり、低い点数よりも高い点数の方がいいのに決まってはいるのですが、社会に出て生きるということを考えると、勉強しても分からなかった、正解にたどり着けずいい点数が取れなかったという場合でも、大事なものを勉強することで得ているのです。
それは、情報や知識を収集する力と、それに基づいて考える力です。これらは、点数が低かろうが高かろうが、勉強する過程で身につけられるものです。勉強する際、教科書や参考書で、必要な情報や知識を集めます。そして、それらをもとに、与えられた問題について考え、解いていきます。これらは勉強の得意・不得意に関わらず、必ずやるプロセスです。
そして、これらは社会に出た時、とても大切な力となります。情報や知識にあふれた社会で生きるには、自分に必要な情報・知識を得るということが重要になります。情報・知識を得ずに、何かについて考えようとしても、的外れな考えになってしまいます。
また、考える力も非常に大切です。社会で生きていて、考えないということはあり得ません。壁にぶつかった時、どうやってその壁を乗り越えるべきか考えますし、人生の岐路に立った時も、どちらにすべきか考えます。考える力が高いと、より正しい方向を考え出すことができますが、低ければ間違った方向に進むことになります。考える力は、人生の幸・不幸に直結しています。
不登校の子の中には、勉強が楽しくない、頑張ってもできない勉強なんてしたくないという子もいますが、勉強の楽しさや、勉強で得られるものについて知っていただき、勉強する意欲を持ってもらえればと思います。
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