不登校カウンセリングブログその1039.「漠然とした不安」を抱えている不登校の子。思春期に特徴的な心理と、そうした子へのアドバイス。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年2月9日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年11月4日

「将来、どういう風に生きていけばいいのだろう」
「社会に出るまでに、自分のやりたいことが見つかるだろうか」
「勉強する目的って、何だろう」
そんな漠然とした不安を抱えて、不登校になっている子がいます。こういう漠然とした不安は、思春期に特徴的な心理です。思春期に入り、自分という意識が本格的に目覚めてきたものの、まだ社会に出た大人と違って、自己確立ができているわけではありません。社会に出ているわけでもありませんので、自分の立ち位置もはっきりしているわけではありません。
こんな不安を抱えて不登校になる子供の場合、何かが嫌で不登校になっているという意識はありません。いじめが原因で不登校になっている場合などは、不登校になっている原因が明確なのですが、こういう漠然とした不安を抱えて不登校になった場合は、どうして学校に行きたくないのか、あるいは行けないのか聞いても、答えられないことが多いのです。
将来、こういう風に生きたいと、具体的につかめている子供は、それほど多くはないでしょう。子供時代から、なりたい職業や進みたい道がはっきりつかんでいる方が、少ないです。たいてい、子供時代は、自分が進むべき方向が定まっておらず、将来どの道を歩んでいけばいいか、分かっていません。将来のことを考えると、不安を抱く子供がいても、不思議ではありません。
不登校になる子は特に、物事を深く考える傾向があります。深く考えて、納得できないと前に進みたくないと考える子供もいます。そういう子に、今抱えている不安をとりあえず置いておいて、今やるべきことをやりなさいと伝えても、前に進めないでしょう。
私は、こうして生きている人すべてに、何らかの生きる目的や使命があると考えています。一人一人の人生をとってみても、そこに何らかの目的があると考えています。その目的を明らかにするには、多くの場合、試行錯誤が必要だと思うのです。
その試行錯誤とは、さまざまな知識と経験を重ねつつ、その過程で、自分の生きたい道は何か、自分が何をしたいか、考えていくことです。知識を得るのは、学生時代はたいてい、勉強を通してですが、数学、英語、社会、理科、音楽などを勉強して、それらについての知識を得て、その知識をもとに自分の生きたい道とは何か考えていきます。最初は、考える力が十分ではないので、道はなかなか出てこないかもしれません。
しかし、考えることを重ねることで、考える力が高まっていきますので、そのうちに、「こういうことを自分はしたいのではないか、生きたいのではないか」ということがつかめてきます。
そうして知識を得て、考えていくだけでなく、成長するにつれてさまざまな経験も重ねていきます。進学したり、アルバイトをしたり、あるいは社会に出て働いたりすることで、経験を重ねていきます。
経験を重ねていけば、その経験をもとに考えることができますので、知識を得るのと同様に、考える力が高まって、生きたい道がだんだんと明らかになってきます。「求めよ、さらば与えられん」という言葉がありますが、これは真理です。分からないながらも、求めていった人には必ず、何らかの答えが出てきます。
若い時に、すべての答えが無くてもいいのです。やりたいことが見つからなくてもいいのです。試行錯誤するうちに、本当に答えが出てきます。その子が本来持っている、生きる目的や使命が、明らかになってきます。
幸い、今はインターネットなど情報収集の道具が豊富です。そうした道具を使って、いろいろな刺激を受け、「自分がやりたいこと、興味を感じること」を見つけることは、それほど難しいことではありません。
不登校になっている間、家にあったレコードを繰り返し聞いて、音楽に興味を持ち、その道に進んだ有名人がいました。その人の場合なども、思春期ゆえの漠然とした不安によって不登校になり、レコードによって刺激を受けて、自分のやりたいことを見つけたということになるでしょう。
「自分に生きる目的なんて、使命なんてあるはずがない」と、自己否定感を持ってしまっている不登校の子は、考えてしまうかもしれません。繰り返しになりますが、すべての人に、何らかの生きる目的や使命があるはずです。そうした目的や使命を探すのも、生きる目的であり、考え続けていたら答えは出てきます。あまり早い段階で、自分に見切りをつけてしまっては、せっかくの人生がもったいないです。
若いということは、まだ何も自己確立ができていない、何も道が分かっていないということですが、同時に時間がたくさん残されていて、試行錯誤する時間的余裕があるということでもあるのです。自己否定感を持って、悩む時間があるのでしたら、いろいろと自分にとって興味のあること、面白いことを探して行く方が建設的だと思うのです。
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