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不登校カウンセリングブログその1043.プライドが高くて、失敗を恐れる不登校の子は、自分を受け入れていない面があるのかも?

更新日:2022年11月4日



 不登校の子供の中には、プライドの高い子をよく見かけます。それ自体は、特に問題があるわけではありませんが、プライドが高いゆえに派生する個性や行動が、子供の足を縛ってしまったり、迷させてしまったりすることがあるようです。


 プライドの高さから、失敗することを避けたいと願う個性となる子がいます。この個性が程よく発揮される場合は、失敗をしないような慎重さを身につけることになりますが、あまりにもその個性が強くなりすぎると、確実に成功することしかやれなくなってしまいます。


 世の中、100%成功することばかりではありません。何かに「チャレンジする」場合、成功するかどうかわからないということです。確実に成功することしかやれなくなると、チャレンジすることがなくなってしまいます。チャレンジすることによって人は、成長する面があると思うのです。チャレンジすることがなくなると、成長の機会を自分で消してしまうことになり、人生が停滞してしまうでしょう。


 プライドの高さによって、見栄を張ってしまう子供もいます。プライドが高いけれども、そのプライドに見合うだけの実力が十分でない、実績がないという状態だと、そのギャップに苦しんでしまって、「自分はすごいんだ!」という見栄を張ってしまうのです。そのように見栄を張ると、今度は自分の弱さを直視することができなくなってしまいます。自分の弱さを直視できないため、自分をどこかごまかしながら生きることになります。


 また、プライドが高いために、自分より優れた人を避け、認めようとしなくなることがあります。そういう人よりも、自分の方が優位性を保てる人と好んで付き合いたがるようになります。いわゆる「お山の大将」になっていくのです。


 そういう人間関係ばかりになると、まず人間関係が狭まっていきますし、自分より優れた人と出会って、「自分はまだまだだ。頑張ろう」という気持ちにさせてくれるきっかけを失うことになります。


 こうして考えると、プライドが高いゆえに失敗をすることを恐れ、成長する機会を自らつんでしまうことがあるということになります。プライドが高いので、ほどほどの結果や成果では自分が納得できず、努力を継続する人もいますので、同じプライドが高いのに、どうしてこのように差が出てくるのでしょうか。


 これは、自分を受け入れているか、それとも受け入れていないかの違いがあるからだと、私は推測しています。プライドが高いながら、自分を受け入れている人は、自分の弱さ、不十分さも受け入れていることになります。その弱さ、不十分さを抱えた現実の自分と、プライド故に本来自分はこうありたい、こうあらねばならないという理想の自分とのギャップを直視しますので、そのギャップを埋めるべく、普通よりもはるかに努力することになります。


 一方、自分を受け入れることができていない人は、弱い自分、不十分な自分というものを直視することを異様に嫌がります。心のどこかで、そういう自分に気づいてはいるのでしょう。うすうす感じてはいるのでしょう。だからこそ、そういう不十分な自分を直視することを避けたくなるのでしょう。そのため、失敗を恐れて行動しなくなってしまうのでしょう。


 不思議なものです。同じように高いプライドを持ちながら、一方は失敗を恐れずどんどん行動し、チャレンジしていき、もう一方は失敗を恐れて行動しなくなるという、真逆の姿勢になってしまうのです。その違いは、本当に自分を受け入れているかどうかにかかっているのです。


 もし、不登校の子が、自分を受け入れることができていないのでしたら、そういう不十分さ、弱さのある自分もまた、真実の自分であるということを伝えてあげるべきでしょう。時には失敗してしまう自分、不十分な自分もまた、愛すべき自分自身であるということを、受け入れるよう働きかけるべきでしょう。そういう部分はむしろ、これからどう努力していけばいいかを示してくれているのかもしれません。


 特に、思春期の子供たちに言えることですが、まだまだたくさんの時間が残されています。努力したり、さまざまな経験をしたりする時間がたくさんあります。これは財産です。その財産を使っていくらでも、自分の弱さや不十分さを変えていくことができます。そうした部分によって、これからの長い時間を使って努力すべき方向をつかむことができますので、「見たくない!」を目を背けるべき部分ではなく、まさに愛すべき部分だと思うのです。





 



 


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