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不登校カウンセリングブログその1061.不登校を、「家庭から社会への巣立ちのつまづき」と考える。

更新日:2022年10月23日


 不登校になる子供の大部分が思春期です。小学校高学年から、特に中学生にかけて人数が増えます。不登校という現象が、「家庭から社会への巣立ちの過程でのつまづき」ととらえることができ、思春期はまさにそういう段階だからです。


 思春期にさしかかると、それまでの居場所であった家庭から、外の世界である社会に関心を持ち始めます。その最初の社会が、学校であり、友人関係です。社会人になって社会に出る前の社会、「前社会」と呼んでもいいでしょう。


 その「前社会」で居場所を見つけることができたら、家庭から社会への巣立ちの第一歩はうまくいったことになります。ただ、その巣立ちでつまづいてしまうと、場合によっては家庭に戻ろうとします。そのつまづきも様々です。いじめ、人間関係、他人と比べての劣等感など、つまづきのきっかけは様々です。前社会から家庭に戻ろうとすることは、子供にとっては、巣に戻るわけであり、それが不登校という現象です。


 思春期ではもう一つ、子供の精神的な成長で起こることがあります。それは自己の確立です。自分とは何か、どういう存在かを確立することであり、「発達心理学」での「自我同一性」です。「アイデンティティの確立」と表現した方が、一般的には通用するでしょう。


 思春期は、家庭から社会への巣立ちの段階であると同時に、自我を確立する段階です。友達との人間関係や、その他、先生等との関係、勉強やスポーツなどの得意・不得意、興味・関心、趣味など、さまざまなことから、自我を確立していく段階でもあります。この自我の確立も、やはり社会への巣立ちの一環でしょう。社会に巣立つためには、自我を確立しておく必要があります(自我を確立しないまま、社会に巣立っていくケースもあります)。社会に巣立っていこうとするからこそ、自我の確立も起こるということです。


 そこでもし、自我の確立を妨げることがあれば、「発達心理学」でいうところの「自我同一性拡散」が起こります。「自分とは何か」が分からず、混乱した状態になるのです。不登校の子供が、「自分はダメだ」という自己否定感を強く抱きますが、それは「自我同一性拡散」が起きていることでもあります。


 不登校の対応が難しいのは、家庭から社会に巣立っていく過程で、子供たちが居場所をなくし、自我の確立ができなくなっているからです。どちらも、まだひな鳥のような子供だけでは難しいところがあります。


 子供たちにとって、家庭以外の、社会での居場所はほぼ学校だけです。その学校に居場所を見つけられなかったら、フリースクール等、少数の場所を除くと、ほとんどありません。


 つまづいた自我の確立も、簡単には行きません。大人でも自我の確立はあり、そこでうまくいかないことはありますが、大人にはある程度の経験があります。子供にはその経験がないので、「自分はダメだ」という、深い自己否定感を抱いてしまっています。そういう自己否定感を取り除き、自我の確立を手助けするのは、容易なことではありません。


 さらに、不登校の子供たちは、「認知行動療法」でいうところの、「認知の歪み」を起こしています。「認知」、すなわち物事の受け止め方が、まっすぐではなく歪んでしまっているのです。これは、思春期の繊細さゆえに起こることでしょう。



 例えば、人間関係がうまくいかずに、「自分はダメだ」と自己否定感を持っている場合です。大人であれば、ある程度客観的にその状況を眺めて、「相手のココが原因だ」「自分のココが問題だ」ということを認識し、改めることができる場合は改めて、それが難しい場合は「仕方ないか」と達観して考えることもできます。


 しかし、思春期の子供たちは、よくもわるくも純粋で繊細ですので、「自分に問題があるんだ。人とうまく関係を持てないのだ」と考えてしまって、その結果、自己否定感を持ってしまいがちなのです。その考えが、「認知行動療法」でいうところの、「認知の歪み」です。純粋で繊細であるゆえに、「認知の歪み」を持ってしまう傾向があるのです。


 不登校は、家庭から社会への巣立ちの過程でのつまづきでもあり、それゆえの対応の難しさがあるのです。






 



 

 

 


 

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