わが子が不登校になって、「人生のスタートで出遅れてしまった」と落ち込んでおられないでしょうか。他の子供たちは普通に学校に行き、そこで学び、必要な経験を経ています。一方、わが子は家にいて、ゲームやスマホばかりしている姿や、悩み、落ち込み、苦しんでいる姿を見ていて、「うちの子は出遅れた!」と落ち込んでしまうのは親心というものでしょう。
しかし、そんなことはないと考えています。不登校になったことで、人生に出遅れたということにはならない、十分取り返しがつくと思うのです。
不登校になったことによる人生の出遅れとは何でしょうか。
まず、経験でしょう。学校では様々な経験を積みます。人間関係、勉強すること、部活、修学旅行など、さまざまな経験を積みます。不登校になれば、そのような経験をあまり積めなくなります。
経験に一部重なりますが、さまざまな人間関係の中で生きていく力も、不登校になれば、学校に行っている子供よりも十分には身につかない、ということもあります。
学力も、不登校による出遅れとして挙げられます。不登校になれば、まず家で勉強することはありません。学校で弁公室づけている子供よりも、学力が低下することは確実です。
ちょっと考えただけでも、不登校になることによって出遅れたものはこれだけ挙げることができます。そして、それらは後々の人生において大事なものでもあります。「わが子が出遅れた!」という思いを、親御さんが強く抱くのは当然です。
しかし、不登校の子供たちの人生はまだ始まったばかりです。平均寿命から考えて、まだ70年近く残っています。それだけの時間が残っていて、出遅れを取り戻せないわけはありません。
まず経験での出遅れ、です。学校に通っている間の経験は、かけがえのないものです。その時にしかできない経験もあります。ただ、どうでしょうか。社会に出るまでの経験と、社会に出てからの経験、どちらの方が生きていて豊富でしょうか。量的に多いでしょうか。バラエティに富んでいるでしょうか。
人にもよるかもしれませんが、社会に出てからの経験の方が量的にも豊富であり、バラエティに富んでいると思うのです。学校に通っている間は、家庭と学校という枠組みの中での経験ですので、社会に出てからの経験ほどのものを積むことはできません。
不登校によって学校での経験が欠けていたと感じるのでしたら、社会に出ていくらでも、さまざまな経験を積んでいけばいいのです。それは可能です。不登校だったことに縛られず、前向きに歩んでいけば、必要な経験を積み重ねていきます。
さまざまな人間関係の中で生きていく力も、学校で身につけられなかったとしても、社会に出てから十分身につけられます。社会の方が、学校よりも豊富な人間関係があります。同じ年代との人間関係がほとんどの学校と異なり、社会では年齢幅が違いますし、仕事での同僚や取引先等、多種多様な人間関係です。その中で生きていくことは、学校での人間関係で生きていくことよりも、さまざまな経験を積むことができます。その結果、人間関係の中で生きていく力を身につけることはできるでしょう。
学力もそうです。学校は基本的には勉強する場所であり、勉強することに専念することが許された環境であることは間違いありません。そして、社会に出たら多くの場合、働くことが求められますので、勉強することに専念できるわけではありません。社会に出てから、勉強の出遅れを取り戻すのは、簡単なことではないかもしれません。
しかし、仕事を通しても勉強することはできます。何の仕事をしているかにもよるのですが、仕事に必要な知識というものがあり、それを学ぶこともまた、立派な勉強です。むしろ、学ぶ目的が学生時代よりも明確な分、勉強が効率的です。
また、時間が限られているとはいえ、仕事が終わってからの時間があります。帰宅してから寝るまでの数時間は自由にできます。その時間を使って、勉強することはできます。
成長してからの勉強が、学校に通っている時の勉強よりも有利な点は、何のためにやるのかという目的意識がはっきりしている点です。そのため、勉強時間が少なくとも、効率的に学べるのです。
若い時に「人生出遅れてしまった」という状況になるのは、なかなか辛いです。しかし、人生のスタート段階である、十数年ぐらいで、その後の人生が完全に決まるほど、人生は甘くありません。前向きに進んでいけば、不登校であったことに引きずられずに前を向いていけば、出遅れは十分取り戻すことができます。
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