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不登校カウンセリングブログその1093.勉強して自分を磨いた後、何をしますか?―「お受験」の問題点―

更新日:2022年10月22日


 特に首都圏では、幼い段階からの受験、「お受験」に熱心だと聞いています。私は地方都市で生まれ育ち、小学生の頃は釣りばかり行き、本格的に勉強し始めたのは高校時代からでしたので、小学時代やさらには幼稚園時代から受験のためにエネルギーを注いでいくという話を聞いて、何か別世界のような世界があるのだなと感じています。


 どうしてそこまで、まだ幼い時から受験にエネルギーを注ぐのかなと不思議だったのですが、「人生の早い段階で有利な位置を確保したい」ということもあるのかなと、推測しています。


 江戸時代までは身分制の社会であり、身分が社会における立場を決める基準となっていました。しかし、明治維新になって平等社会となり、別の物差しを基準とする必要が出てきて、それが「学歴」となりました。慶應義塾の創設者で、明治時代の大ベストセラー「学問のすゝめ」の著者である福沢諭吉が、日本の社会を、身分制社会から学歴社会へと変えた中心の人間と言えるでしょう。


 江戸時代までの「身分制社会」では、チャンスの機会が平等ではありませんので、少なくともある程度、チャンスの機会が平等になった「学歴社会」の方が、いい社会だと言えるでしょう。そして、学歴社会は、欧米世界に日本が進むべきモデルが存在する間において、有効に働いていたと、私は考えています。欧米世界には、数年後から数十年後の、日本が進むべき未来があり、そこで進むべき道をモデルとして日本に紹介するという形で、学校教育を行っていきます。そして、そこで学んだ、高い学歴を持った人間が、日本の進むべき道を示して、指導者になっていくというスタイルが、明治以降からおそらく1990年くらいのバブル崩壊前後まで、有効に機能していたと思います。


 その間、日本全国の中で優秀な人材が東京や首都圏に集まっていきました。好きな表現ではありませんが、いわゆる「勝ち組」が東京人や関東人となりました。そして、地方からの流入する優秀な人材と、関東に居続けることができるかどうか、競争する面が出てきました。


 そう考えますと、「お受験」は、人生の早い段階で「勝ち組」となり、そうした地方からの優秀な人材に対して、有利に競争するという面もあるのではないかと、私は推測しています。早くからエスカレータ式の有名進学校に入学し、そこで高学歴を得て、有利な状況で競争していくという面が、「お受験」にはあります。


 この「お受験」には、問題が二つあると思うのです。一つは、「お受験」をはじめとした、幾度かの受験で、子供たちはバーンアウト(燃え尽き)してしまって、社会に出たらもう、やる気のない、働く気のない人間を生み出したことです。「もう、社会に出るまでの一生懸命努力してきたから、あとは楽をしたい」という人間を生み出してしまいました。


 もう一つは、他人を見下すような人間を生み出したことです。学歴が低い人間、勉強が苦手な人間を見下すような人を生み出してしまったことが、「お受験」制度の負の部分でしょう。実際、中学受験で志望校に合格した子が、不合格の子に、「ざまあみろ」みたいな言葉を浴びせるということを、聞いたことがあります。


 社会に出るまでに燃え尽きたり、人を見下したりするような人を生み出していけば、社会は停滞するでしょう。学生時代に努力し、高い能力は得ても、それをさらに社会に役立てようとする人間にはなりません。やる気なく生きていくか、他人に対して優位に立つためにしか自分の力を使わないか、どちらかの人間になるとしたら、「自分の力を他人のため、社会のために役立てよう」という人間にはなりません。


 知識教育は大事ですが、勉強して社会に出て、それから一体何をするのか、いろいろと自分が得たものをどう社会に恩返ししていくか、学生時代に考えさせることも、教育の中で大事なことではないかと思うのです。学生時代に、一生懸命努力する環境を与えてもらって、高い学歴を得ることができたということは、かなり恵まれた環境にあったといえるでしょう。頑張ってきた努力や、いい結果を残せたということは、確かにその子本人が頑張ってきたためです。それでも、親や教師など、たくさんの人から恩を受けているのですから、その受けた恩をどう返していくか、社会に出たら恩返しのために何をするのか、ということも、考えていく必要があるでしょう。


 現代の教育に欠けている部分は、まさにその点だと私は考えています。





 


 

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