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不登校カウンセリングブログその1103.「親に迷惑かけたし、ありがたかったな」と思う今日この頃。子育てで、親は、かくの如き報われぬもののようですが…―不登校のわが子への愛―

更新日:2022年10月22日


 親に対して、「迷惑かけたな」とか「ありがたかったな」と思うようになったのは、私の場合40歳くらいからだったと思います。それ以前も、そのように思ったことはありますが、本格的にというか、しみじみと思うようになったのは、やはり40歳くらいからでした。10代の頃は、自分のことだけしか意識がなく、20代の頃は多少、親への感謝などは考えたことはありますが、まだ自己確立に一生懸命で、親のことをしみじみと考えるようなことはほとんどなかったと思います。


 もしかしたら、早いうちから親への感謝の思いを持っている人も、いるかもしれません。ただ、「子供を持って感じる親の恩」という言葉や、「親孝行 したいときには 親はなし」という言葉があるところから見ると、親への感謝をしみじみと思えるようになるのは、人生の半ば以降、やはり40歳ぐらいからが一般的なのでしょう。


 わが子が不登校になっている親御さんの場合、大部分が10代の子供です。そのくらいの年頃では、残念ながら、親への感謝の思いを持つことはあまりないでしょう。特に、不登校になっているような状態では、親への感謝を持つだけの、精神的な余裕はないはずです。感謝どころか、心の中の不安や焦りを親にぶつけてくることもあり、一生懸命育ててきたはずなのに、わが子は不登校になり、あまつさえ自分に暴言を吐くこともある、いったい、自分は何のために子育てしてきたのかと、空しく思われている方もおられるでしょう。


 そのような子供が、親への感謝の思いを持つようになるのは、もっと人生の後か、早くて不登校の状況を脱出した時です。それまでの間、「子育てってなんて報われないのだろう」という思いを、何度か持たれることになるでしょう。


 人は、自分がしてきたことに結果を望みます。これは人として自然な思いです。子育てにしても同じです。一生懸命子育てをしてきて、やはり立派な子供になってほしいですし、時には子供から「ありがとう」の言葉も聞きたいでしょう。「無償の親の愛」ということもありますが、なかなか人間は、そこまで割り切れる生き物ではありません。


 では、本当に子育ては報われないものなのかというと、そのように断言もできないようです。「ようです」と表現しているのは、すべての親子関係を知っているわけでもなく、私が知っている事例はごくごく一部であるからです。そのごくごく一部の事例を見ていて、時間はかかっても一生懸命に子育てしてきた結果は、長い時間たっても報われることがあるように思います。


 あるお母様の話です。夫は、あまりバリバリと働く人ではなかったようで、何度も転職を繰り返し、つねに家計は貧しいものでした。夫は悪い人間ではないのですが、妻、すなわちそのお母様のことをあまり理解する人間でもなく、夫婦のきずなは、そのお母様が努力するほど、深めることはできなかったようで、夫婦関係においてはちょっと苦労がありました。


 子供に対しては、経済的には十分なことをやれたわけではないようですが、できうる限り、生きていく上で大切なことを教えたようです。努力することの大切さ、誠実さ、善悪の価値観など、しっかりと教え、また愛情を注ぎました。


 数十年後、子供はしっかりと育ち、そのお母様はずっと貧しかったのですが、夫の死後、社会的にも成功した子供と同居して、何不自由ない晩年を送っています。子供たちが、親との同居を強く求めていて、それはやはり、親から受けた愛を感じ取っていて、それに報いたいと思ったからでしょう。子育てが何十年か後に報われた形となりました。


 わが子が不登校の状況の真っただ中にいて、砂をかむような思いで毎日を過ごしておられる親御さんの、その子育ての苦労は、子供にかけた愛情は、おそらくすぐには実を結ばないでしょう。子供が理解してくれることも、なかなかないのかもしれません。


 しかし、不登校の状況を脱出し、ずっと後の人生において、親御さんの愛情を思い出し、感謝の思いを持ってくれる時が来るかもしれません。100%とは言えないのですが、他人から受けた愛情に対しては、人は報いたいと思います。数十年後、今の不登校の状況において、どれだけ愛情をもって接したかが、形になる時がやってくると思うのです。




 


 



 


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