不登校の子供たちには、物事を深く考える傾向があります。素晴らしい傾向ですが、あることに悩んだり、考えたりした場合、その子のそばにいてその悩みや思考に対して、言葉をかける立場にある人は、ある難しさに直面することになります。それは、そういう子供たちを簡単には納得させられない、という難しさです。
そんな不登校の子供の多くが、「なぜ勉強するのか」「勉強することには、どういう意味があるのか」と模索しています。そうした子供に、「いい学校に行くため」「将来必要だから」といことを伝えても、おそらく納得しないでしょう。
「いい学校に行くため」に勉強することが目的だ、と伝えた場合、じゃあ、いい学校に行った後はどうするの、その後は?という疑問を、子供は抱くかもしれません。それに対して、どう答えればいいのでしょうか。
一般的な応えでしたら、「いい会社に入るため」となるでしょう。しかし、現代社会は時間の流れが早くなり、会社の栄枯盛衰のスピードも激しくなっています。私が就職するころは、家電業界はまだまだ調子がよく、大手家電メーカーの就職人気は高かったです。その後、海外の企業との競争にも負けるところが出てきています。私の友人も、当時は調子のいい家電メーカーに入ったものの、そこは海外のとあるメーカーに吸収されることとなり、やむを得ず転職することになりました。
いい会社に入ったからとて、それでずっと安定した生活を送れるということは、保証しない時代になっているのです。「いい学校→いい会社→いい生活」という方程式は、1990年代以前なら通じたのですが、それ以降は通用しなくなっています。そのことを、今の子供たちは知っています。
「いったい何のために勉強するの」という疑問に、「将来必要だから」と答えるとしましょう。その場合、「どういうふうに必要になるの?」とさらに聞かれることがあります。それに対して、どう答えるべきでしょうか。「いい学校に行くため」と答えるとするなら、先ほどと同じことになります。「周りの人も勉強しているでしょう?だから必要なんだ」という答えでは、やはり納得しないでしょう。
私も、十年余り塾講師をしてきて、やはり「いったい何のために勉強するの」という子供からの問いに、考えさせられました。どう答えればいいのか、勉強の目的や意味とは何か、考えてきました。自分なりに考えて、今のところの答えとしては、情報を集める力が高まる、ということを挙げています。
学校の勉強をする場合、やみくもにやるわけではありません。教科書や参考書、問題集を用いて勉強します。その際、大事な情報を見極めて、それをしっかりと覚えたり、反復して問題を解いていきます。勉強すること自体に、情報を収集する作業が伴います。
その情報収集力は、現代社会では非常に重要です。たくさんの情報があふれている現代社会では、ある程度の量の情報を得ておいた方が、生きる上で有利です。例えば、どこかある街に引っ越す必要が出て、さてその街のどこに引っ越すかを考える場合でも、情報は重要でしょう。エリアによっては治安の良さや商業施設の豊富さなどが異なります。あらかじめ、情報を集めておくと、引っ越しが円滑にいく可能性が高くなります。
勉強するもう一つの目的は、思考力を高めるということです。勉強では、暗記の部分はありますが、それ以外に、考えるという部分もあります。与えられた問いに対して、答えを出すために考えるというプロセスを繰り返します。そうしているうちに、思考力が高まっていきます。
思考力が高まっていくと、生きていく中で、判断する局面に立った場合、より正解に近い判断ができる可能性が高まります。人の人生は、判断の連続です。その判断の積み重ねで、人生ができていきます。誤った判断をすると、その後の人生がうまくいかなくなっていきます。大きな判断ミスをすると、そのミスを取り返すために何年も、時には十年くらいも、必要になることがあります。思考力が高まれば、それに基づいた判断がうまくいくのです。
勉強するもう一つの目的というか、意味は、「光を放つ人間になる」ということです。大学に入った後も、あるいは社会に出てからも、勉強し続ける人がいます。学生時代はあまり勉強しなかったのに、社会に出てから勉強し始めてそれを続ける人がいます。そういう人は、刻苦勉励している雰囲気が出てきます。何となく、輝いて見えるのです。これは勉強に限らないと思いますが、何かに打ち込んで努力し続けることで、ある種のオーラ?みたいなものが出てくるのでしょうか。
私はこのあたりのことを、勉強する目的や意味ととらえています。人によって異なるとは思いますが、子供にさらに深く、「何のために勉強するの」と聞かれた場合は、自分なりに深く考えた上での答えを、伝えられればいいと考えています。
Commentaires