不登校カウンセリングブログ1156.高校生の不登校の子供とは、生きることの意味や目的を話し合うのもいいかもしれません。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年6月6日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年10月22日

高校生の子供が不登校になっている場合、小学生や中学生の場合と異なって注意が必要です。高校は義務教育ではありませんので、出席日数の関係で留年があります。そのため、留年になるよりは、と退学することがあり得るのです。その結果、高校を退学して、そのままニートや引きこもりになるということが出てくるのです。親御さんにとって、最も避けたい状況でしょう。
高校生となると、精神年齢も大人に近づきます。悩んだり考えたりすることも、大人に近づいてきます。これからどう生きるべきか、そういったことも入ってきます。また、子供の中には、生きることに意味を見出せず、高校の中退をきっかけにして、そのままずるずるとその状況に甘んじてしまって、そのまま引きこもりに、ということもあり得るでしょう。
そこで、不登校になっている高校生の子供とは、一緒になって生きることの意味や目的を話し合うものいいかもしれません。「いいかもしれません」と表現しているのは、そうした話を受け付けない精神状態であれば、もちろん話し合うのは避けるべきですので、子供の精神状態を見極めて、話し合っても大丈夫と考えられる場合のみ、ということだからです。
子供と話し合う場合、注意すべきことは、親の考えを押し付けないということです。相手はまだ大人ではありませんが、さりとて完全な子供でもありません。「大人に近づいている子供」です。自分なりの考え方を持ち始めている段階です。あくまでも一緒に話し合うという形であり、子供が自分の人生を考えるための材料を、親が提供するというスタンスにしておくべきでしょう。いろいろ伝えたいと熱心になるあまり、子供の反応に注意を払わないで、親が伝えたいことばかり伝えると、押し付けることになってしまいます。
また、子供と話し合う場合は、こちらも生きる意味や目的について、自分なりの考え方を持っている必要があります。それがあれば、子供と「話し合う」ことができます。何のために生きているのか、生きていて辛いこともある、苦しいこともある、そうしたことがある人生にはどういう意味があるのか、そのことについての自分の考えがあれば、子供と話し合うことが可能です。そうした自分なりの考え方がなければ、話し合う形にするのは難しいです。この時、親の人生観が問われます。しっかりした人生観があれば、子供がそれを考える材料にしやすくなります。
納得していただけるかどうかは脇に置き、私個人の考え方を述べますと、永遠に残る心にさまざまな経験を積むために生きている、ということとなります。死んでも後、心は残ると考えています。その永遠に残る心に、生きることを通してさまざま経験を重ねます。それらには楽しい経験もありますが、苦しい経験や辛い経験もあります。
それらの経験を重ね、心が成熟していくと思うのです。いわゆる「経験値が上がる」ということです。さまざまな人と出会って、「この人は成熟した人だな」と感じる人もいれば、「何だか未熟な人だな」と感じる人もいます。これは、心の経験値が高い人とそうでない人の違いから生じることだと思うのです。肉体的な年齢とは別に、心の年齢というものもあって、それが長いほど、心の経験値が高く、成熟した人間になるのだと推測しています。
そう考えると、不登校という一見、辛く苦しい経験もまた、大事な経験だということになります。そこで考えたこと、感じたことは心の糧になり、「練れた」心になっていくのでしょう。
そして、さまざまな経験を積むために、これから社会に出ていき、さまざまな人と出会い、働いていくということになります。どういう道を選ぶかは、その人次第です。そこには、喜びとともに苦しみや悲しみがあるでしょう。幸福もあれば不幸もあります。それらは心の経験値を高めるために必要なことです。
あくまでも、私が考えている「生きる目的」や「生きる意味」であり、人によってそれはさまざまだと思います。そうしたことを子供との話し合いで、「こういう考え方もあるのだけれど」と伝え、子供に考える材料を提供することは、本格的に自分の人生を歩んでいこうとする子供にプラスになると思うのです。
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