不登校の子供が、「自分はダメだ」という自己否定感を抱き、将来に対して絶望しているような状態で、そばにいる親御さんは、そのような心の中にある思いを軽くしてあげたい、取り除いてあげたいと願うでしょう。その願いは、不登校の状況を解決に導くという意味においても、大切なことです。自己否定感や絶望感を軽くし、取り除くことで、子供は前に進もうという気持ちになれるからです。
しかしその時、どうしても、子供を「説得しよう」という感じになってしまいがちです。子供に対しての「説得」自体が間違っているというわけではありませんが、不登校の子供の心の状態によっては、注意が必要な場合もあるのです。「説得しよう」という姿勢が、子供の思わぬ反発を生じさせることがあるということです。
「説得」という姿勢は、子供が深く悩んでいたり、傷ついていたりして、他者からの共感を求めている時に、「自分の気持ちをくみとろうとせず、親の考えを押し付けてくるのか」と思われてしまうのです。親としては決して、そういうつもりではないのに、わが子の苦しみを軽くしてあげたい、取り除いてあげたいと思っているのに、それがうまく伝わらないことがあるのです。
最近、NHKの大河ドラマ「真田丸」のDVDを借りて観ていました。物語の序盤、もとは武田家の家臣であった武将が、武田家滅亡後に上杉方に拾われて、元は武田家に属していて、今は上杉家に属している、ある城の守りを任されていました。その武将を調略して北条方に寝返らせようと、堺雅人さん演じる、主人公の真田源次郎(のちの真田幸村)が、すでにその武将と接触している叔父の手伝いをしに行くことになりました。
叔父の説得が功を奏して、だいぶその武将の心がこちら側に傾いてきたときに、真田源次郎が「あと一押しをさせてほしい」と、説得にあたりました。しかし、理屈で話しすぎたため、かえってその武将の反発を招いてしまいました。
そのことを叔父に報告すると、「理に傾きすぎたな。人を理で説得しようとすると、かえって反発をしてくるものだ」と、真田源次郎に忠告しました。
その忠告を聞いて、再び武将の説得に当たった真田源次郎は、今度は情の部分に訴え、その武将は北条方に寝返ることに同意したのです。
「説得」というのは、真田丸でいうところの「理に傾く」傾向が強くなってしまうことがあるため、それを不登校の子供に行ってしまうと、反発されることが出てくるのでしょう。
では、どうすればいいのかというと、「説得」という姿勢よりも、「あなたが悩んでいること、苦しんでいることについて一緒に考えて、それが軽くなる方向を見つけていこう」という、そういう姿勢で子供と接した方がいいのでしょう。子供に対して、一方的に自分の伝えたいことを伝えて、子供の抱えている悩みや苦しみを解消しようとするのではなく、子供の悩みや苦しみをよく聞き、その辛い気持ちに共感しつつ、ともに考えていこうという姿勢です。
この姿勢だと、子供は、「自分の悩みや苦しみを、親は理解してくれているんだ。その上で、その悩みや苦しみを軽くしていこうと、考えてくれているんだ」ということが伝わりやすくなります。そういうことが伝われば、やはり心を開き、親が伝えたいことを比較的、受け入れやすくなるでしょう。
実際、この姿勢でも、子供に伝えたいことは伝えて、説得していくことに違いはないのです。ただ、「説得」という姿勢がやや、上の立場から下の立場の人間に言葉を伝える、という感じになるのに対し、先ほどの姿勢は、子供に近いところに立って言葉を伝える、すなわち横にいる相手に言葉を伝えるという感じになり、子供にとって受ける印象が変わってくるのです。
説得ということが悪いわけではありません。急ぐ場合や、相手に元気がある心の状態の場合は、説得という姿勢の方が適切でしょう。要は、使い分けです。
親から見た、子供の悩みや苦しみは、親の積み重ねた人生経験や知恵から、時々、取るに足らないものに見えることがあります。それゆえに、「説得」という姿勢になってしまいがちなのですが、子供が不登校の状況にある場合は、注意が必要となります。
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