私は、勉強することでついてくる学歴を、完全には否定しません。学生時代において勉強することで、学歴がついてくるということがあるのは、その通りだと思いますし、それが社会に出る時に有利に働くことも事実です。
しかし、それだけでもないと考えています。勉強することで得られるものは、何も学歴だけではなく、「精読」という力があり、それに「多読」と合わさることで、社会に出てからの仕事能力となります。そして、それら二つが合わさって、教養人となり、一流への道が見えてくると、私は考えています。
学校で勉強することは、基本的に「精読」です。「精読」とは、与えられた本をじっくり読みこんでいくことです。学校での勉強を思い出してみてください。教科書に線を引き、その部分について、先生から説明を聞いていく、という勉強スタイルだったと思います。
学校の教科書などは、時間があれば数日で読んでしまえるものが多いでしょう。数学や英語、理科などは、新しい公式や知識がないと先に読み進めるのが難しいですが、国語や社会などはそれが可能です。数日で読んでしまえる教科書を、半年や一年かけて読み込んでいくのですから、「精読」です。
このような「精読」によって、読んだ部分についてじっくり考えます。文の正確な意味をとらえることをしていきます。それは、社会に出てから仕事をするとき、細部をきちんと詰めていく力をつけていくことにつながっていきます。
「精読」をしておくと、仕事の際にミスをすることを減らし、正確な仕事能力を身につけることになるのです。ミスの多い人は、そのミスをカバーする手間が出てきますので、責任ある仕事を任されることはありません。そういう仕事を任されてミスをしてしまうと、会社やその組織の存亡にかかわることさえ、あるからです。時々、大事な顧客データを、外部に流してしまって、信用を無くしてしまった、という会社のことがニュースになります。うっかりミスでも、ミスはミス、それを防ぐ仕事能力を身につけるもととなるのが、「精読」です。
こういう「精読」の訓練は、大人になってからはなかなかできません。一冊の本を一年かけて読んでいくことというようなことは、忙しい大人になってからはあまりできないことです。学生時代に「精読」をしなかった人が、社会に出てからそれを身につけるのはなかなか難しく、ハンディを背負うことになります。
この「精読」に、本をある程度のスピードで読みこなし、たくさんの本を読んでいく「多読」が加わると、いわゆる「教養人」となります。その場合に対象となる本ですが、週刊誌などは含まれません。著者が、調査と研究を重ね、練り上げて書いた本が対象となります。読んでみて、生きていくための知恵などが得られる、いわゆる「良書」です。そういう本は、読んでいくのに時間がかかります。そういう本を、ある程度のスピードで読みこなしていくには、一定の知的訓練が必要です。
私事ながら、私はもともと理系として大学に入学しました。そこで、1990年から1991年の湾岸戦争を見て、国際政治に関心を持ち、やがて政治や経済に興味を持つようになって、経済学を独学で学んでいきました。
しかし、経済のケの字も知らない私にとって、経済学の入門書であっても、読むのは相当骨が折れました。1ページを読むのに、1時間かかるという有様でした。それでも、書いてあることの意味が分からないのです。
「ケインズは、価格の下方硬直性に着目し、それまで『神の見えざる手で市場での需要と供給が調整されるという、古典的な経済学者の考え方を否定し・・・」と書いてあって、それを読んでも、意味がさっぱり分からず、1時間もそのページと格闘していたのです。
半泣きになりながらも、じっくりと「精読」していくと、やがて経済学の知識や考え方が頭に入っていって、少々難しい経済学の本を読んでも、だんだんと楽に読めるようになっていきました。そうなると、今度は「多読」が可能になっていきました。「多読」が可能になると、頭に入る知識や考え方がどんどんと蓄積されていきますので、ますます読むスピードが上がっていくのです。
「精読」と「多読」ができるようになると、実は「教養人」になる道が出てきます。「教養人」とは、たくさんの知識を集めている人ではなく、たくさんの「知恵」を集めている人です。「知識」と「知恵」、似たようなものかもしれませんが、違います。
例えば、あなたが会社の経営を任されているとしましょう。「知識人」は、経済学や経営学に書いてある知識について、いろいろと述べることはできるでしょう。評論することもできます。しかし、そうした知識を使って考え、判断し、意思決定して、実際に会社を経営できるのが「教養人」です。教養人は、自分が得た知識を、さまざまな形で使うことができる人のことです。
そのようになれるためには、かなりの知識の量が必要です。すなわち、「多読」です。しかし、多読だけでは、積み重ねた知識を使えるところまでいきません。やはり、知識についてじっくり考えて、知識を発酵させる「精読」が必要なのです。
学生時代は「精読」によって力を高め、次にたくさんの本を読む「多読」によって知識をたくさん得ていき、それを「精読」によって発酵させて使える形にし、「教養人」となっていく道。それが、勉強して見えてくる道です。
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