現代社会は、他人の自己肯定感を下げる傾向が強いですが、希望を見出しにくい傾向もあります。1990年代から日本経済は低迷し、就職が難しい就職氷河期もあり、大企業も倒産する時代となり、希望を見出しにくい時代であります。そんな時代に、不登校の状況にある子供たちが希望を見出すのは、難しい場合があるのかもしれません。不登校の状況も様々ですので、いわゆる「明るい不登校」の場合は、希望を見出しやすいのでしょうが、悲観的に物事を考える子供の場合、「社会で生きていくことに、希望を見出せない」という場合もあるでしょう。どうやって、この社会の中で希望を見出すことができるのでしょうか。
個人は社会の中で生きていますので、社会の影響は受けます。不登校の増加は、社会の影響を受けているために起きていると私は推測していますので、不登校という状況も、個人が受けている社会の影響の一つでしょう。
ただ、個人に影響を与える社会ではあるけれども、影響を受けっぱなしかといえば、そうではありません。「人の心は、自分でコントロールできる」ということですから、社会の影響を心で排除することは可能です。個人の心で、社会からの影響を排除することができるなら、希望を見出しにくい社会ではあっても、個人レベルでは希望を見出すことができるはずです。
そこでまず、希望を見出しにくい社会ではあっても、自分はそこで希望を見出すということを、しっかり決意することが大切です。「今の社会、希望はない」と考えてしまいますと、そういう風にしか生きることができませんし、見るもの聞くものすべてが、希望がないように感じます。自分には希望を見出せると考えるところから始まります。
次は志を見つけることです。志とは、社会に出てからやりたいこと、なりたいものです。不登校の状況にある子供たちは、一時的にやる気を失っていることが多いので、「やりたいことなんてない」と思っているでしょう。
そう思ってしまうのは、不登校の状況の中で外界からの情報を遠ざけてしまっているからです。要は、刺激です。一日中、部屋にこもって外界からの情報を遠ざけていては、やりたいこと、なりたいものを見つけるのは難しいです。今はネットもありますので、ネットで興味のあることや関心のあるものを見つけていくことができます。そうして漠然と、「これは面白そうだ」と感じたものがあったら、そのことについていろいろ調べていくと、そこに自分の志が見つかるかもしれません。何年かかかることもあります。不登校の状況から出て、外の世界で生活する間、「自分の志は何か」と探していけば、必ず見つかります。
志が希望となるのは、志によって環境も人生も変わっていくからです。志によっていい方向に変わっていきます。社会がどのようなものになったとしても、志を持っていれば、そこに向かって努力していくことができ、社会からの影響を受けにくくなります。
また、希望とは、別の言葉で表現すると、心を輝かすことでもあります。前回のブログに書きましたが、心を輝かすということは、人格を高めるということです。年齢を重ねるほど、人間として素晴らしくなっていきたいものです。社会的地位やお金はたくさん得たけれども、人間としてダメになっていれば、その人の人生は意味がありません。心を輝かすことは、すべての人ができます。さまざまな知識を得て、考えて、経験する中で、そして、自分について知り、人のことを知り、世界を知る中で、自分の心の在り方、生き方を見つめていき、もし何か改めるべきところや、足りないところがあったら、改め、補っていくと、心を輝かすことができます。
現代社会は、いろいろなことが起こります。中には、社会が激変して、失敗や挫折も起こりうるでしょう。ただ、「心を輝かす」という視点で、失敗や挫折を見た場合、そこに、自分の心をさらに輝かすヒントを見出すことができます。失敗や挫折を嘆くことなく、そこに自分が進むべき希望の方向を見つけていくことができます。
不登校の状況にある子供の多くが、精神性が高いです。不登校に関わる人の多くが、そのことを話していますし、私も感じています。だからこそ、これからの時代において、心を輝かすことが重要になると考えてもらえれば、もともと精神性の高い不登校の子供が希望を見出すことはできるのではないかと思うのです。
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