不登校カウンセリングブログその1232.家庭や学校で、「生きる目的」「勉強の目的」「学校に行く意味」を子供たちに伝えることで、不登校を減らせる可能性。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年9月12日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年10月17日

ブログでたびたび書いてきましたが、不登校になる子供には精神性が高い傾向があります。そうした子は、物事を深く考えるため、思春期になると特に、「生きる目的」ってなんだろうか、「勉強する目的」ってなんだろうか、「学校に行く意味」ってあるのだろうか、と考えるようになります。その時、納得いく答えを提示してもらえたら、学校に通い続け、また勉強し続けていくのでしょう。
しかし、実のところ、現代はあまりこうしたことを教える場所がありません。これは、戦後、日本が変わった大きな特徴の一つだと、私は考えています。そしてそこに、不登校になる背景があると考えています。
以前、私は山口県の萩に行ったことがあります。明治維新を成し遂げた薩長土肥の一つ、長州藩です。長州藩は、高杉晋作や木戸孝允、久坂玄瑞など、明治維新の志士たちを数多く輩出したところですが、そのように輩出した背景の一つに、吉田松陰の存在があると思うのです。
吉田松陰は幼いころから英俊と認められていて、わずか10歳で藩侯に教えたほどの人物でした。黒船の乗り込んでアメリカに行こうと企て、また萩に私塾「松下村塾」を開き、そこで弟子たちに教えました。先ほどの高杉晋作や久坂玄瑞などは、その弟子であったのです。
その松下村塾の建物が残っているので、萩に行ったときに見学したのですが、本当に小さな建物で、昔の日本家屋の一軒家でした。そこで学んだ人の中から、維新の志士や総理大臣を輩出したのですから、何とも不思議な感じがしました。
松下村塾では固定的なカリキュラムがなく、塾生に合わせた内容であり、自分の意見を持ち、塾生の間で議論することを吉田松陰は塾生に望んでいました。算術なども教えてしましたが、精神的な教えを重視し、それが塾生に伝わっていって、あれだけの人材を輩出したのでしょう。
当時は藩が作った藩校も数多く、そこでは兵学や蘭学などの技術的・知識的なものと同時に、精神的なものも教えていて、学校制度になってからもそうした精神的なものを教えるカリキュラムは続いていきました。
第二次世界大戦が終わり、日本は負けて、戦前にあったものはいろいろと変わりました。失ったもの、あるいは失わされたものもあり、その一つが、教育における精神性ではないかと思うのです。軍国主義につながったとして、教育勅語は廃止されました。私は、それらをすべて肯定するわけではありません。戦前の教育は、「滅私奉公」的な要素が強く、個人を捨てて公に尽くすという考え方が強かったように感じます。
ただ、捨ててしまってそれが現代、問題となっているものもあると思うのです。ブログでたびたび取り上げている道徳的なものや、人はどう生きていくべきかなどの精神的なものなどは、教育の場からなくなってきています。そうしたものがなくなっていて、知識的なものや技術的なものを教えることが大部分となっています。
不登校の子供は精神性が高いと書きました。そして、そういう傾向があるからこそ、精神的なものを求めて得られない、その結果、不登校になると書きました。
そこで、現代の日本の教育の場に、道徳的なものや精神的なものを教えることを増やしてけば、不登校になる子供は減らせると思うのです。
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