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不登校カウンセリングブログその1306.理解の速度による「習熟度別クラス」による、不登校への対応。


 「学校に行きたくない」という、不登校の子供の意見の中には、「学校の勉強がつまらない」というものがあります。「分からないからつまらない」のではなく、「分かっていることをゆっくりやって、みんなと合わせないといけないから、それがつまらない」ということです。不登校の子供や、不登校になっていなくても学校に行きたくないと考えている子供の中には、そういうふうに学校がつまらないと考えている子供がいるのです。


 先生に言われたことをさっさと終えてしまって、みんなが終わるのを待つ間、退屈だけれども、静かに待っているよう指示されて、その時間が苦痛だという子供。自習するよう言われて、やりたいところを自習したいと思っていても、その自習の範囲を細かく指示されて、それが嫌だと思っている子供。


 そうしたことが積み重なり、「学校はつまらないところ」というイメージができあがってしまって、学校に行きたくないという子供が増えているのでしょう。


 これは、集団形式授業をとっている限り、避けるのは難しいことです。集団形式授業では、その集団すべてのレベルに合わせるのは不可能です。ある集団を対象にして授業をすると、その集団の学習レベルはさまざまですので、その集団すべてに合わせることはできません。どうしても、その中間層あたりを主な対象にして授業をせざるを得ず、よくできる層とあまりできない層は取りこぼされてしまいがちです。


 このことはおそらく、集団形式授業をしたことがある人なら、悩んだことがあることでしょう。全員が分かり、面白い授業をするのはほとんど不可能で、いったいどうすればいいか、悩むところです。


 その問題を解消する一つの案は、「習熟度別クラス」でしょう。習熟度に応じてクラスを編成し、早く理解する子供たち向けのクラス、まずまずのスピードで理解している子供たち向けのクラス、あまり理解が早くない子供たち向けのクラスに分けて、それぞれにあった授業を行えば、先ほどの問題はある程度、解消されるでしょう。シンガポールやオーストラリアではすでに取り入れられている制度です。


 これを「理解度別クラス」とはせずに、理解する速さによって分けたクラスである点に、注意が必要です。明らかに、「よくできる」「よくできない」という形でわけてしまうと、「差別だ」という声が上がる懸念があります。あくまで、一定の範囲のカリキュラムに対する、理解の速度で分けるのです。


 また、習熟度別クラスも、ある科目に対するものであり、全科目総合で行われるものではありません。つまり、国語の理解が早い子が、数学では遅いという場合は、それぞれ属する習熟度クラスは異なるわけで、そうなればこれも「差別だ」という声が上がるのを、ある程度防ぐことができるでしょう。


 また、これは学校側のフォローが必要ですが、あくまで理解の速度で分けているものであって、人間の良しあしではないということを周知徹底して、習熟度が遅い子供たちが、無用に劣等感を抱くのを防ぐようにしていきます。


 小学校の高学年ぐらいから取り入れていけば、冒頭のような不満を抱く子供の数を減らせるのではないかと思うのです。








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