不登校カウンセリングブログその1324.安易な「不登校容認」は、子供の将来を閉ざすことがあります。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年12月14日
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ここでの安易な「不登校容認」とは、「学校なんて行かなくていい」として、社会に出るための道を示さない考え方です。「学校なんて行かなくていい」と言い、不登校になっている子供に、では学校なんて行かなくていい人生の歩み方を教えない考え方が、ここでいう安易な「不登校容認」です。
以前不登校だった人が、そのことを後悔していることを発信している内容を読むことがあります。そこでよく見る発信が、「学校なんて行かなくていいとネットなどで励まされ、自分もそう考えて勢いで高校を辞めたけれど、その後、就職がうまくいかず、アルバイトで食いつないでいる。今は後悔している」ということです。そういう人は、将来に何かやりたいことがあるわけではなく、また見つけるわけでもなく、何とかなるだろうという感じで時間を過ごし、やがて社会に出る時に厳しい社会の現実に直面することになります。
どうしても学校に行けない人はいます。ひどいいじめなどが横行していて、その学校に行かない方がいいこともあるでしょう。できれば、元の学校に戻った方がいいけれども、そのためには多大な労力が必要であれば、転校したり、あるいは家で学習する道も、確かにあると思います。
ただ、学校に行かないならば、行かないことによって発生するリスクを、自分で背負い、そのリスクを軽くすることを行う必要があります。
そのリスクはやはり、社会に出にくくなるというリスクです。社会に出る時、ほとんどの場合は履歴書で判断されます。人と人とが一対一で会って、じっくり人となりを判断する時間的余裕は、社会にはあまりないからです。履歴書を渡すと、その人がどういう生き方をしてきたかが見られます。そして一般的に、社会に出る前は学業期ですので、どういう学業を修めてきたかが見られます。いわゆる学歴です。その学歴が、不登校によって十分でなければ、その人がどんなに可能性を秘めた人であったとしても、社会はそのことを履歴書から判断することはあまりないでしょう。残念ですが、それが事実です。
あるいは、学歴以外、「自分はこういうことをしてきた」というアピールポイントがあれば、それを判断されるかもしれません。例えば、単身、海外に行ってそこでしばらく働いていた、などという経歴があれば、それもまた、大きなアピールポイントになります。見知らぬ土地で働くということは、日本国内よりはるかにハードルが高いです。もし私が雇用主なら、学歴がそれほどなくとも、「もっと話を聞いてみたいな」となります。
ネットで安易な「不登校容認」の意見を見かけますが、その意見の多くが、不登校を選択した子供に、学校に行かないで社会に出ていく道を示していません。そこは非常に無責任と言わざるをえません。
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