「子供が不登校になったのは、親が『毒親』だから」という意見を時々耳にします。この意見によると、毒親というのは、
・過保護
・過干渉
・甘えさせすぎ
・子供を否定する
などの特徴があり、こうした特徴を持つ親に育てられると、子供は不登校になる、ということのようです。
確かに、これらの特徴が強ければ、子供は不登校になる可能性はあるでしょう。こうした特徴が強ければ、外の世界で生きるために必要な忍耐力や、自主的に生きる力などは、低くなる可能性があります。
この「毒親」に書かれた本を読んでひどくショックを受けた、というお母様もいらっしゃいます。これらの特徴は、ある程度、どのお母様にも当てはまるでしょう。
例えば「過保護」という特徴ですが、親なら誰しも、わが子を守ろう、保護しようと願うはずです。「過干渉」という特徴も、親ならわが子に幸福になってもらいたいと、あれこれ干渉してきます。
こうした「毒親論」の本には、一つの落とし穴があって、わが子が不登校になって心が弱っている時にこうした本を読むと、誰にでも当てはまる特徴を自分のことだと考えてしまって、「自分は毒親だ」と見なしてしまいがちなのです。
ただ、不登校になったら毒親だということにはなりません。
数学でいうところの「AならばB」、という命題が正しい場合でも、「BならばA」とは必ずしもならないということです。もう少し分かりやすく言いますと、「豆腐ならば白い」とは言えるでしょう(白くない豆腐もありますが)。でも、「白いならば豆腐」とはならないのです。チョークやトイレットペーパーも白いです。
「毒親論」の場合、「親が『毒親』ならば、子供は不登校になる」ということは言えるでしょうが、「子供が不登校になったということは、親が『毒親』だ」とは、必ずしも言えない、ということです。
不登校になるには、さまざまな要因があります。学校側に要因があるかもしれません。子供自身にも要因があるかもしれません。そうした要因が絡んできて、不登校になるのですが、「毒親論」はすべての要因を母親に求めるものであり、単純すぎる考え方なのです。
百歩譲って、毒親だから不登校になっているとしましょう。現在は18万人の子供が不登校になっていると言われています。その数は増えています。つまり、毒親がそれだけ増えているということです。本当にそんなに、毒親が増えているのでしょうか。ちょっと考えにくいのです。
わが子が不登校になって、「何か、わが子への接し方を変えた方がいいかな」と考えるぐらいはいいと思いますが、あまりにも簡単に「毒親論」を受け入れるのは、不登校の状況を変えるのに、いい影響は及ぼさないと思うのです。
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