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不登校カウンセリングブログその1334.勉強は、後の幸福感を左右することもあります―「できない」という不登校の子供に、「できない」レッテルをはることなく、「できる」可能性を探してあげてください


 最近読んだある本に、犯罪を犯してしまった子供のことが書いてありました。そうした子供が、どうして犯罪を犯すことになってしまったか、分析がなされていて、その分析の中で一つ、気になることがありました。


 まだ成人にならない子供が、犯罪を犯すことになった理由には、家庭環境が恵まれていなかったということ等、さまざまなものがありますが、私が気になったのは、勉強ができなくて、それで自信を無くしたり、学校に行くことが嫌になったり、あるいは他人から見下されたりして、疎外感を強くしていき、それが最終的に犯罪に結びついていった、というものでした。


 その本を書いた人は、そうした子供に社会復帰するためのプログラムを実行してきた人です。犯罪を犯すまでにほぼ、勉強してこなかった子供たちに、そのプログラムを実行することは困難でしょう。


 しかし、その人は内心、「この子が勉強に取り組むことは不可能ではないか」と思っていたのに、本当にささいなきっかけで、そうした子供が自主的に勉強に取り組むようになって、どんどん顔つきが変わっていき、生活態度も改まっていった事例がありました。


 注意していただきたいのは、不登校になることは、犯罪ではありません。また、勉強ができても将来、犯罪を犯すこともあって、勉強ができない=犯罪予備軍というわけではありません。そのような意図で、このブログを書いているわけではありません。


 ただ、知っていただきたいのは、学校に通っている間は、勉強ができないということは、子供に大きな劣等感や疎外感を抱かせるに足ることであり、将来の幸福を左右しかねないことでもある、ということです。そして、たとえ今、勉強ができなくても、取り組んでいなくても、ちょっとしたきっかけで勉強ができて、積極的に取り組むようになる可能性がある、ということです。


 「勉強ができない」という不登校の子供に対して、「勉強だけが人生ではない、できなくてもいいんだ」という風に接することは、もしかしたら、「この子はもう、勉強はできない」とレッテルをはって、もしかしたら勉強ができて、積極的に取り組むようになる可能性を、子供のそばにいる大人が摘んでいることなのかもしれません。







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