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不登校カウンセリングブログその1336.「客観的自己」と「主観的自己」大きくがずれる時、不登校になることがあります。


 不登校の多くが、思春期に見られます。それはどうしてでしょうか?


 思春期とは、自己確立が本格的に始まった時期です。自己確立とは、


・客観的自己

・主観的自己

がバランスよく成長していくことです。


 客観的自己とは、周囲からの評価からできている自己のことで、学業の出来具合、他人との円滑なかかわりなどで形成されます。「こうあるべき自分」とも表現できるでしょう。


 この客観的自己は、必ずしも100%の現実で形成されるわけではなく、「自分は周りからこう思われている」という、子供の思い込みでも形成されることがあります。


 もう一方の主観的自己とは、「こうなりたい自分」「こうしたい自分」のことで、「自我」と呼んでもいいでしょう。


 幼い時は、主観的自己が強く、客観的自己はあまりありません。自己中心的であり、他人の目を気にするということはあまりないです。


 しかし、成長し思春期に差し掛かると、集団の中の自己を意識しだします。他人の目を強く意識しだす年頃となります。社会に出て、他人との関わりの中で生きていくための、準備段階と言えるでしょう。


 その時、客観的自己と主観的自己が、ともにバランスよく成長していけば、特に問題はないのですが、そのバランスを崩してしまうことがあります。そのバランスを大きく崩してしまうと、自己確立がつまずき、逃避することがあります。その逃避行動が、不登校なのです。


 まず、客観的自己が大きくなりすぎてしまった場合です。客観的自己、すなわち他人から見て、「こうあるべき自分」が大きくなりすぎるということは、周囲に過剰に合わせようという行動になりがちです。主観的自己を抑え、客観的自己の方が大きくなってしまうと、自分がなくなったように感じたり、疲れたりしてしまいます。その結果、不登校という行動をとることがあります。


 もう一つの代表的なパターンが、主観的自己が小さいままであるものです。現代社会では、夢や志がなかなかもてず、主観的自己、すなわち「こうなりたい自分」「こうした自分」という意識が、形成されにくくなります。


 同時に、自分で考えて決定し、行動することが少なくなっている社会でもあります。主観的自己は、自分で考えて決定し、行動して、その結果うまくいった経験を重ねていくことで形成されていきます。そういう経験が少なくなると、主観的自己が大きくならないのです。


 こうなると、無気力になります。「何もやりたいことがない」「何もしたくない」「面倒くさい」という言葉をよく口にする子供は、主観的自己が小さいままになっているのです。その結果、学校に行くことや勉強することに意義が見いだせず、不登校になることがあるのです。






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