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不登校カウンセリングブログその1337.「何もやる気がない」という無気力な不登校の子供は、「主観的自己」がうまく成長していないかもしれません。

更新日:2022年12月27日


 前回のブログでは、思春期において、周囲からの評価でできている「客観的自己」と、自分はこうしたい、こうなりたいという「主観的自己」がバランスよく拡大していくことが、健全な成長であり、そのバランスが崩れてしまった場合には不登校になりうることがあると書きました。


 今回は、そのうちの「主観的自己」について焦点を当てて、「何もやる気がない」という無気力な不登校の子供の心理について、書いていきます。


 「主観的自己」について詳しく説明しますと、これは「こうなりたい自分」であり、「本音の自分」のことです。思春期に入り、心身ともに成長していけば、「自発的」に取り組めることが増えていきます。勉強やスポーツなど、「自発的」に取り組んで、それがうまくいったとき、「主観的自己」は拡大していきます。平たく言えば、自信がつくのです。


 さて、不登校の子供に限らないことですが、「何もやる気がない」という言葉を、子供の口からしばしば聞きます。無気力になっている子供です。この無気力な状態は、「主観的自己」がうまく拡大していないために起きている可能性があります。


 「主観的自己」が、精神的な成長とともに拡大していくには、つまり、「こうなりたい自分」が拡大していくためには、憧れや夢、あるいは現状に対する不満などが必要です。思春期になると、アイドルやタレントなどに憧れることがありますが、それは「主観的自己」を拡大させようと、「こうなりたい自分」を探している行動とも見ることができます。


 現状に対する不満も、「こうなりたい自分」を求める原動力になりえます。あまりにも強い不満だと、「こうなりたい自分」を求める余裕が出ませんが、適度な不満なら「こうなりたい自分」を求める原動力になります。


 例えば、1950年代から1960年代の、あまり日本が豊かでなかった時代は、物質的な環境に対する不満がありました。その不満ゆえに、「もっと豊かな生活を送りたい」という、いわばハングリー精神が働いて、「主観的自己」が拡大していき、そこに向かって努力していくことができました。こういう状態であれば、無気力になることはありえなかったでしょう。


 現代は、「ああなりたいな」という憧れや夢を持ちにくい時代なのでしょう。バブル崩壊以降、右肩上がりの社会ではなくなっていますので、その状態に拍車をかけているのかもしれません。そうなりますと、「主観的自己」を拡大させていきたいという思いを持たなくなりますので、無気力な状態になってしまうのでしょう。


 物質的には豊かな社会になっているという状況も、そうした状態に拍車をかけてしまっているのかもしれません。ハングリー精神を持つのが難しく、その点でも「主観的自己」を拡大させていきたいという思いを、なかなか持てなくなっていて、「何もやる気になれない」という無気力な状態になりがちなのでしょう。


 そういう意味では、難しい世の中なのかもしれません。









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