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不登校カウンセリングブログその1338.現代社会では、夢を持ちにくく、また「こうなりたい未来像」や「あるべき道」が少なくなったことが、不登校の一因となっています。


 現代社会は、子供たちにとっては夢を持ちにくい社会かもしれません。まだ物質的に貧しい時代であれば、「豊かになりたい」ということが夢になり得ました。その方向に向かって努力していけば、夢に近づくことができました。


 しかし、物質的に豊かになってきた社会では、単に「豊かになりたい」ということでは、夢になり得にくくなっています。ではどういう夢を持てばいいのかというと、それも分かりにくい時代です。


 核家族化や地域社会の崩壊も、「こうなりたい未来像」を描きにくくなっている背景となっています。昔の、三世代同居や地域社会が機能していた時であれば、さまざまな人との出会いがあり、その中には、「ああいうふうになりたい」という未来像を描くきっかけがありました。しかし、核家族化や地域社会の崩壊によって、そういうきっかけも非常に少なくなっていて、未来像を描きにくくなっているのでしょう。


 社会がこの30年ほど、停滞している状況も、夢を持ちにくくなっている要因となっています。右肩上がりの社会であれば、その勢いを感じて「夢を持とう!」という意欲を持ちやすくなりますが、明日もどうなるか分からないという社会では、そのような意欲はなかなか持ちにくいのかもしれません。


 また、昔は、「末は博士か大臣か」というふうに、多くの子供たちにとって目指すべき道が社会のなかでありました。その是非はともかく、そういう目指すべき道があれば、その道に沿った形で夢を持ちやすかったのです。しかし、現代ではそういう道はありません。それだけ、社会が多様化してきたとも言えますが、多くの子供にとって「どういう風に生きるべきか」という道が見えにくくなっている社会になっているとも言えるでしょう。


 このように、子供にとって夢を持ちにくい時代では、思春期の成長を阻害する可能性が高くなります。ここ最近のブログでは、思春期は、


客観的自己:他人から評価されている自己。建前の自己。こうあるべき自己。


主観的自己:こうなりたい自己。こうしたい自己。本音の自己。


という、二つの自己がバランスよく拡大していくことで、精神的に成長していくと書いています。


 そして、夢を持つことで、主観的自己が拡大していく原動力になります。その夢を持ちにくい社会では、主観的自己がうまく拡大しない可能性があります。


 「何もやりたくない」「なりたいものなんてない」「面倒くさい」という言葉を、子供から聞くことがありますが、これは主観的自己が拡大するべき時に拡大できず、無気力な状態になっていることを示しています。その無気力さに耐えかねて、不登校になる子供が増えているのが、今の社会の状況です。







 

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