不登校カウンセリングブログその1340.「他人の目が気になる」という不登校の子供は、「客観的自己」が拡大しすぎているのかもしれません。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年12月30日
- 読了時間: 2分

不登校の子供の中には、「他人の目が気になる」という子供が少なくありません。他人が自分のことを見ている気がして、それが気になってしまって、集団の中にいるのがこわくなり、あるいは息が詰まる感じがして、学校に通い続けることに疲れてしまいます。その疲れが、忍耐の限界をこえた時、不登校という選択をする子供がいるのです。
これは、思春期の子供の心理に見られることです。つまり、「客観的自己」が拡大しすぎてしまっている時に起こることです。
「客観的自己」とは、「周囲から見た自分」「周囲の評価でできている自分」「建前の自分」であり、思春期になると、この「客観的自己」が拡大していきます。それ自体は、子供の精神的な成長であり、何も問題はありません。
「客観的自己」は、社会に出ていき、そこでたくさんの人の中で健全な生活を営むために必要な心理です。他人を適度に意識することで、他人の迷惑になる行為をしてしまわないようにし、周囲と調和して生きていくことができます。本格的に社会に出て、人と関わって生きていくまでの、準備期間としての思春期の心理が、「客観的自己」の拡大ということです。思春期になると、他人の目が気になる子供が増えるのは、まさにこの「客観的自己」の拡大によるものです。
それが不登校の状況へとつながってしまうのは、拡大しすぎてしまうからです。これは、その子供の気質によるものもありますが、地域社会の崩壊や核家族化によって、多くの人と出会って、いわば「人慣れ」する機会が減ったことも、影響としては大きいと考えています。
地域社会が機能し、大家族が普通の時代では、近所の大人やさまざまな年齢の子供たちと接してしましたので、学校に入る前にはある程度、他人との距離感や接し方を、日々の生活や遊びの中で身につけていました。
しかし、地域社会が崩壊して、核家族化の時代には、そういうことが少なくなって、多くの他人と接するのは、学校に入ってからになりました。遊び場などと異なり、学校という規則のある場で、初めて他人と接するのは、子供の中にはストレスに感じることもあるのでしょう。「客観的自己」が拡大し始める思春期には、そのストレスがさらに大きくなって、「客観的自己」が拡大しすぎてしまい、学校に通うことに疲れてしまって、不登校になる子供が出ているのが、現状なのだと私は推測しています。
コメント