思春期は、「他人を意識した自分」「他人から見てこうあるべき自分」という「客観的自己」と、「こうしたい自分」「こうなりたい自分」という「主観的自己」が拡大していく過程であること、そして、思春期に不登校になる子供の多くが、大きすぎる「客観的自己」と、小さすぎる「主観的自己」という、二つのバランスを崩していて、それによって不登校になることを、これまでのブログで述べてきました。
今回のブログでは、後者の「主観的自己」に焦点を当てて、どうすれば不登校の状況になることを防げるか、について書きたいと思います。
昔は、「主観的自己」がはっきりとしていました。その価値観はともかく、戦前においては「末は博士か大臣か」というふうに、目指すべき道がありましたし、戦後のまだ貧しかった時代は、「物質的に豊かになりたい」という方向が、「こうなりたい自分」となっていました。「主観的自己」が明確だったのです。
しかし、物質的に豊かになった現代では、「こうなりたい自分」という「主観的自己」を見つけにくいため、生きる目的や方向が分からず、何かをやる気になれないという無気力にな子供が増えています。文部科学省が、不登校の子供に対して行ったアンケート調査では、不登校になった要因として「不安・無気力」を挙げた子供の割合が、50%近くとなっています。まさに、そのことを裏付けているデータではないでしょうか。
子供が、「主観的自己」が小さいために無気力になり、そこから不登校になるのを防ぐために、まだいろいろなものを吸収しやすい時期、幼い時期に、「こうなりたい自分」を見つけられるよう、子供の周囲に、さまざまな伝記や偉人伝を置いておくのが、いいかもしれません。エジソンであったり、シュバイツアーであったり、聖徳太子であったり、そうした伝記・偉人伝に、幼い時から触れることによって、自分はこういう風になりたいというモデルができてきますし、自分がやりたいことを探すうえでも参考になります。「主観的自己」がしっかりと確立されていくのです。
そのようにして確立された「主観的自己」は、思春期に無気力になることを防ぎます。また、人間関係で悩みやすい思春期において、そのような「主観的自己」があれば、その悩みにある程度、打ち克つことができます。
どうでしょうか。「自分はこうなりたいんだ!」という情熱がある子供が、不登校になるとイメージできるでしょうか。そういう子供は、少々の逆境にも耐えていくような感じでしょう。
子供が幼いうちは、何になりたいかは、まだわかりません。しかし、そういう伝記や偉人伝を身近においておくことで、なりたい自分を探す足掛かりになるでしょう。
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