不登校カウンセリングブログその1421.志が学ぶ情熱となった、昔の教育。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2023年3月21日
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昔、といっても、そこまで昔のことは分かりませんので、幕末から戦前に限ってのことですが、その時代の教育を残された資料などから見る限り、現代の教育とは決定的に異なる面があります。
それは、志を伝えたり、考えたりする場があるかどうか、ということです。そういう場が、昔の教育ではあったと思います。
幕末、私塾や各藩校では若者たちが学んでいましたが、その若者たちが集っていたのは、蘭学や兵法という知識を学ぶためだけではなく、自分が何をするかということを考えるためでもありました。幕末、200年以上にも及ぶ鎖国をしていた日本に、進んだ科学を実現して発展してきたアメリカやヨーロッパの脅威が迫ってきて、それにどう対応すべきか、どう国を守るかということが、国家存亡の課題となっていました。そこで自分は何をすべきか、何をするかということを必死で考え、それぞれの志を持って、幕末から明治の動乱期を生きていきました。
そのような、志を考える場があればこそ、学んだ蘭学や兵法という知識が活きてきます
自分の志を実現するために、それらの知識をどう活用すればいいか、あるいは逆に、それらの知識を組み合わせて、志をどう具体的にしていけばいいか、考えることができます。
現代の教育のように、志を考える場がなく、ただただ蘭学や兵法を学ばせていたとしたら、状況もまた、外国の脅威がなくて、それら蘭学や兵法を使う必要性もなかったとしたら、当時の若者はどう感じたでしょうか。「何でこういうことを、学ばなければならないのか!?」と疑問を抱いていたのではないでしょうか。もしかしたら、私塾や藩校で学ぶことを拒否した若者が出たかもしれません、現代のように。
当時の私塾や藩校では、現代から見て凄まじい情熱と努力で、若者たちは学んでいました。塾に辞書は1冊しかなく、それを優先的に使うには試験でトップの成績を取らねばならず、みんな寝る間も惜しんで学びました。ある若者が当時のことを、「布団で寝た記憶がない。机で勉強しながら、そのまま寝た」と振り返っていました。それだけ、どうしても成し遂げたい志があるということは、学ぶ情熱の源になると思うのです。
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