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不登校カウンセリングブログその1422.「才能」と「努力」。才能の存在はありますが、たいていは努力の方が重要になります―「自分には才能はない」という不登校の子に―


 今の社会は、何となくあきらめムードが漂っている気がします。経済が低迷している1990年ぐらいからでしょうか。それ以前の、昭和の時代はまだ、努力すれば結果が出るということが広く信じられていたと思います。しかし、1990年代から現在に至るまでの経済低迷の時代、先行きが見えない不透明な時代、努力しても無駄ではないか、というようなあきらめムードが漂っているような気がします。


 それに影響を受けている子供がいるのかもしれません。努力してもだめだ、結局、才能が重要なんだ、頭がいい悪いも、才能の問題なんだ、と考えてしまっている子供が多くなっているように思えます。そのため、不登校の状況にある子供などは特に、「自分はだめだ」と思い込んでいるからでしょうか、そういうふうに考えてしまって、努力することは無駄だと考えてしまっているのかもしれません。


 才能がないと厳しい分野はあります。何かのプロフェッショナルになる場合は、そうでしょう。将棋の藤井聡太さんは、まだ若いのに破竹の勢いで将棋界を席巻しています。もちろん、本人も相当な努力をしてこられたはずですが、やはり持って生まれた才能はあると言わざるを得ません。いくら将棋好きであっても、才能が乏しいのであれば、そもそもプロになどなれないでしょう。


 ただ、大部分の人が進む分野では、才能よりも努力の方が重要になると思うのです。また、超一流になるかどうかは才能が問われますが、ほどほどの一流ぐらいであれば、努力で十分カバーできると思うのです。


 できないことをすべて才能のせいにすると、才能が問われる域に達する以前に、努力を放棄してしまうでしょう。そういう生き方が身についてしまうと、おそらく向上ということはなくなってしまいます。


 そういう生き方で得られる結果に、満足できればいいのですが、そこで結果に満足できず、不幸感覚を強くして生きる人がいます。そうなるくらいなら、やはりできるところから努力していくことが大切になるのでしょう。







 

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