不登校カウンセリングブログその1443.耐えることは、必ずしも悪ではないですー耐えた先にある大きな幸福ー
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2023年4月13日
- 読了時間: 2分

「耐える」という言葉を聞くと、反発する人も多いのではないでしょうか。「耐える」ということは不幸なことであり、子供に「耐える」ことを強いるのは虐待だ、と考えるふしもあります。
このように考える傾向が強くなってきているのも、理解できる面はあります。現代は、いろいろな物事の結果が早く出るようになっていて、結果が出るまで待つということは少なくなりました。結果が出るまでの長い時間、耐えて待つということは、理不尽なことのように感じられます。
ただ、大きな幸福感を得ようとする場合、そのためには長い時間がかかることが多く、その場合は耐えることが必要です。耐えた先に大きな幸福があり、そう考えると耐えることは必ずしも悪ではないと思うのです。
例えば、野球部に所属していて、レギュラーになりたいと願っている場合です。野球部員はたくさんいて、レギュラーの座をつかむには人並み以上の努力が必要だとすると、長い間、努力し続けなければなりません。その間ずっと補欠であり、なかなかレギュラーとして活躍できない状態で、努力し続けるわけですから、そこには耐えることが必要でしょう。
しかし、そうして耐えた先に、レギュラーに慣れたという幸福感があります。この幸福感はとても大きなものです。耐えた分、幸福感は大きなものになります。
考えてみますと、大きな幸福感を感じる物事は、その前に耐えることが求められます。大学に合格する、何かの賞を得る、ビジネスで成功する等々、その前にある程度の期間、努力して、その間は耐えることが必要です。
すべてにおいて耐えることが必要とは思いません。耐えることはせずに、さっさと逃げだす方がいい場合もあります。いじめを受けているような場合などは、いじめは犯罪ですので、耐えずに逃げ出すべきです。また、本人には耐えがたいことであり、精神的に参りそうな物事の場合も、耐えることはしない方がいいでしょう。
ただ、それ以外の場合であれば、大きな幸福感を得るために、耐えられそうであれば耐えることは、決して悪いことではないと思うのです。
Comentarios