「不登校の子供の否定」ではありません。ここでのテーマは「不登校の子供の考え方の否定」です。子供自身を否定するわけではありません。その点、ご注意ください。
不登校の子供と接する時は、その心にできるだけ共感することをお勧めしていますが、それだけでは不登校の状況は前に進みません。子供が苦しんでいることや辛かったことに、「大変だったね」と共感することは、子供の心の苦しみや辛さを軽くすることはできます。
しかし、どこかでその苦しみや辛さを乗り越えていって、前に進んでいかなければ、不登校の状況から脱出することはできません。それにはある程度、時間はかかりますし、時には子供が自分で答えを出すのを待たなくてはならない時もあるでしょう。そのような中、時には子供の考え方を否定しなくてはならない場合もあるのです。
不登校のことが話題となる場合、よく出てくるのが「自己否定感」です。自己肯定感を失ってしまって、「自分はダメだ」と自己否定感を抱いている時、「そんなことはない」と、その自己否定感を否定していく必要があります。このような考え方をしている場合は、「共感」だけでは、子供がその自己否定感を乗り越えることはできません。
「自分の将来にはもう希望がない」という考え方も、どこかで否定していく必要があるものです。このような考え方をしていたら、本当に先には進めません。その考え方も、どこかで否定していく必要があります。
ただ、そのやり方が非常に難しいのです。
例えば、「自分はダメだ」という自己否定感を抱いている子供に、不登校になった直後に、その考え方を否定すると、子供が拒否してくる可能性があります。そのような考え方をしていては、前に進めないのですが、子供には子供の「考えたり、悩んだりする権利」があるのです。
自分で考えて、なかなかすぐには答えが出ないだろうけれど、そうやって自分で考えて、悩む権利を子供は持っています。悩み、考えている子供を、知識と経験がある大人から見ると、もしかしたら「そんなに悩むことはないのに」と感じるかもしれません。ただ、すぐに、「その考え方はおかしい」と否定することは、その権利を奪うことになります。いろいろと悩み、考えることにも、その子供にとって意味はあると思うのです。
もちろん、あまりにも子供が、自分が持っている考え方によって苦しんだり、悩んだりしている場合は、すぐにその考え方を否定し、苦しみや悩みを和らげるようにすることは大事でしょう。
しかし、それ以外の場合でしたら、自分で考えてもらい、その考えている姿を見守るのも、大切なことかもしれません。
また、否定する仕方も、頭ごなしにしてしまっては、子供にとっては自分が否定されたように感じることもあります。そうならないように、「確かに、こういうことがあったら、否定したくなるのは分かる」と、子供がそのような考え方を持つに至った経緯を考慮する必要があります。
よく、相手の言うことを頭から否定する人がいます。そういう人は自分では相手に話しかけているつもりではあっても、相手はまったく聞いていないことがあります。現実には、コミュニケーションが成立していないのです。
結局、子供の心の状態をよく見て、こちらの言葉への反応を見ながら、子供が持っている考え方を、少しずつ否定していくことが、求められているのです。
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