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「生きていて、どうなるの?」という不登校・引きこもりの子供たちに、希望を持たせられますか?―経験を重ねるということについて―

 不登校・引きこもりの子供たちの中には、「生きていて、どうなるの?」という疑問を持っている子もいます。やや厭世的、世をはかなんでいる内容の疑問でもあります。このような疑問を持っていている子供たちは、生きていることに対して、希望を見出せていないのです。もし、希望をもって生きていたとしたら、そういう疑問を持つことはないでしょう。


 この疑問に対する答えは、人によってさまざまです。人生は本当に多種多様ですから、これ一つ、という答えはありません。しかし、多種多様な人生に共通するものはあると思うのです。


 生きていて、本当にいろいろなことが起こります。楽しいことやうれしいこと、幸福を感じることも起きますし、辛いことや苦しいこと、不幸を感じることも起きます。そうしたさまざまなことを経験することは、あらゆる人生に共通することでしょう。

 

 個性によって、性格によって、就いた職業によって、人種によって、地域によって、性別によって、経験することの内容は、本当にいろいろです。しかし、何らかの経験を重ねていくということは、いずれの人生にもあてあはまります。


 その経験自体、自分にとってはマイナスに見える経験も含めて、大切な宝になります。経験することによって、考えます。悩みます。感じます。そういうものが、心の細やかなひだになります。そのひだによって、他人を理解したり、思いやりを持ったりすることができます。また、新たな経験に直面しても、これまでの経験をベースにして、より良い判断と選択をすることができます。


 子供のころに比べて、経験を重ねた今の方が、確実に成長しているでしょう。その成長は、経験を重ねた結果なのです。


 そして、私個人の考えになりますが、その重ねた経験は、死して後も心に残ります。肉体が滅んでも、心は永遠に残りますので、その心に重ねた経験は、決して消えることはないと、私は考えています。


 人生の中の経験は、何一つ無駄はなく、永遠に残ることが、人生の希望だと思うのです。





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