不登校カウンセリングブログその1253.不登校の子供に対して、「見守る」ということは、子供に意識を向け、コミュニケーションすべき時を見計らいながら、子供の心の変化を待つということです。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年10月3日
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以前、不登校だった子供の中には、「いろいろと親に助言を聞きたかったのに、何も言ってくれなかった」と不満を口にする子がいます。自分としては、悩んでいることや考えていることについての、親の意見や助言を聞きたかったのに、見守るばかりで、黙ってばかりで、何も言ってくれなかったことへの不満です。
おそらくですが、その子供の親御さんは、カウンセラーか誰かに、「子供を見守ってあげてください」というアドバイスを受け、それを実行したのでしょう。そのアドバイスをしたカウンセラーが、不登校の状況にある子供のことを全く知らなかったか、あるいはそのアドバイスにカウンセラーがいくつか条件を付けたのを、その親御さんが十分理解しなかったか、そのいずれかだと推測されます。
不登校の子供を見守るということが、まったく間違っているというわけではありません。ある条件下で、その「見守る」意味をしっかりと理解していたら、見守るということは不登校の解決に効果をもたらします。ただ、そういうことを考慮せずに、単に「見守る」ことだけを続けていても、時間がたつばかりで状況が一向に改善されません。
「見守る」ことが有効な場合とは、子供とのコミュニケーションがとれない場合です。そのような場合とは、子供が心身ともに疲れ果てていて、休ませてほしいと願っている場合や、心の中でドロドロとした思いが渦巻いていて抑えきれず、それが親に向かって怒りとなって噴出するような場合です。こうした場合は、コミュニケーションがとれませんので、「見守る」ほかないのです。
その「見守る」ことも、こちら側は何もしていないわけではなく、子供に対して意識を払っています。子供が疲れている場合は、どれぐらい疲れているだろうか、どうすれば疲れが取れるだろうかと意識しつつ、子供を見守っています。ドロドロとした思いが渦巻いている場合は、それはどのような思いなのだろうか、それを軽くするためにはどうすればいいのだろうかと意識しつつ、子供を見守っています。
そのように見守りつつ、子供の心の状態が変わって、コミュニケーションが取れそうだと思われるときは、コミュニケーションを行います。不登校の子供の心は、ずっと同じ状態ではありません。時間の経過や何かをきっかけにして、心は変化します。心が変化し、親とのコミュニケーションを望んでいるのに、「見守る」ということをし続けると、冒頭のような不満を、子供が抱くことになってしまいます。
不登校の子供への対応が難しいのは、ある時は有効なことであっても、また別の時は有効ではなくなってしまうことがあることです。その見極めは、常に子供の心の状態が基準となります。
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