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不登校ブログその704.不登校での絶望を乗り越えるための、生きる目的と志。

 不登校になると、「学校に行っていない」という絶望感に、子供たちも親もとらわれてしまいます。大部分の子供たちは学校に行っているのに、自分は、わが子は、学校に行っていない。その状況に伴う絶望感は、相当のものがあります。その絶望感を乗り越えないと、不登校の状況から前進することは難しいです。


 では、その絶望感を乗り越えるには、どうすればいいのでしょうか。


 私は、子供たちが学校に戻るにせよ、戻らず別の道を歩みにせよ、絶望感を乗り越えるには、生きる目的と志が必要だと思うのです。生きる目的をしっかり伝えて、それをもとに、「自分はこう生きたい」という志を子供たちが持つことで、絶望感を乗り越えることができます。


 学校に行くことは、「自分は人生をこう生きたい」という志を実現するための、一つの道にすぎません。学校に行くことそれ自体が目的なのではなく、学校に行くことは、あくまで志を実現するための、一つの選択肢、あるいは途中経路にすぎないのです。はっきりとした志を持つことができたら、その志の実現に、学校に行くことが必要なのでしたら、学校に戻ればよく、学校に行くことが特に必要ではなく、学校に戻ることに魅力を感じなかったら、別の道を模索すればいいのです。志を持つことができれば、学校に行っていないことは、それだけのことになります。


 志があれば、ひどいいじめとか、教師の暴言・暴力とか、そういうものがない限り、不登校にはなりません。志は前進する原動力です。生きる意欲です。


 では、不登校の状況にある子供たちが、志を持つことに大切さを伝えて、それですぐに、志を持てるかというと、そうはならないでしょう。絶望感の中にある子供たちが、志を持つことは難しいです。


 そこで、何のために生きているのか、ということを伝えて、子供たちにそのことについて考えてもらう段階が必要です。不登校の子供たちは、物事を深く考える傾向があります。「何のために生きるのか」ということを伝えたら、そのことについて深く考え、自分はどう生きるべきか、どう生きたいか、志がはっきりしてくるでしょう。


 生きる目的といっても、それは人それぞれでしょう。一言で表現することは難しいことです。ただ、私は、いろいろな生きる目的に共通する部分として、「心に、さまざまな経験を積むため」というものがあると考えています。心は永遠に残る存在で、その心に感じたこと、経験したことは残ると考えています。


 その経験も、本人にとって楽しいことばかりではなく、辛いことや苦しいこともあります。それは決して無駄なことではなく、また失敗や挫折でもなく、心がより豊かになるために、必要なものだと思うのです。


 苦しみや悲しみを含め、様々な経験を心に積んでいくために生きるのでしたら、志は、どのような経験を積みたいかという、方向性を決めるものです。医者になりたいという志を持てば、医者としての経験を積んでいきます。音楽家であれば、音楽家としての経験を積んでいきます。


 子供本人が関心を持つこと、興味を持つことの中に、きっと志が埋まっています。不登校の状況の中では、一人静かに考えることができます。その状況において、埋まっている志を見つけ出すことができれば、不登校に伴う絶望を乗り越えることができるはずです。




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