この世界に生きるすべての人に、何らかの使命があると考えています。使命とは、生きている間になすべきことであり、別の表現をすると、「生きる目的」です。
使命は、大きく二つに分けられます。一つはどういう人と出会い、その人間関係において何をするか、何を経験するか、であり、もう一つは、社会において何をするか、です。
人は、他人から影響を受け、また他人に影響を与えます。人との関わりの中で、お互いに影響を与え合いながら生きていきます。いい影響を与える人もいますが、良くない影響を与える人もいます。本来の使命とは、いい影響を与えあうことだと思いますが、価値観が違ったり、あるいは悪しきことを考えているような人とであったりすると、ぶつかり合ったり、傷つけ会ったりすることがあります。
人間関係で悩み、傷ついてきたことの多い不登校の子供たちの中には、「人間関係でこんなに悩んできて、これの一体どこが使命なのか」と思う子もいるでしょう。人間関係でうまくいかないことは、本当につらいです。苦しいです。避けたい経験です。ただ、そういう経験によって、他人の苦しみをより分かるようになったり、謙虚になったりすることがあり、つらく苦しい経験でありながら、得られるものはあります。
また、ありがたいことに、苦しみを生む人間関係というものは、それほど長続きしません。小学校や中学校、高校での人間関係は、必ずどこかで終わりが来ます。そして新しい人間関係が出てきます。
社会においての使命は、社会に出て働くことや、家庭を切り盛りし子育てをすることです。どういうことを社会においてなしていきたいのか、社会の最小単位である家庭をどのような形にしていきたいのか、ということが、社会においての使命です。社会と家庭との違いはありますが、結局、どのように他人の役に立つか、ということが、この場合の使命になるでしょう。
こちらの使命は、すぐに明らかになることもありますし、時間がたたないとそうならないこともあります。元大リーガーのイチロー選手などは、幼い時には既に、プロ野球選手になり、大リーガーになるという目標を持っていたので、使命が早い段階で明らかになったケースです。そういうケースは特殊で、普通は勉強したり、社会で働いたりしながら、自分の使命をつかんでいくことの方が多いでしょう。
社会においては、「使命」と意識しなくとも、働けば生計を立てることはできますので、使命に出会わないまま、一生を終える人もいます。使命に出会うためには、「自分は何をしたいのか。社会で何をしたいのか」と問い続けることです。そうすることで、自分がやりたいことがはっきりしていき、「これこそが自分の使命だ」と思えるものと出会うことができます。
不登校の子供たちのすべてではありませんが、物事を深く考える傾向があります。自分の心を見つめる傾向があります。そうした傾向は、使命を明らかにしやすいので、不登校の子供たちにはぜひ、自分の使命と出会い、有意義な人生をおくっていただきたいと思います。
Comments