UA-139114584-1
top of page

不登校ブログその750.自分と他人を比べてしまって落ち込むことがあっても、他人は他人、自分は自分。いつか別々の人生を歩んでいきます。

 若い時は、他人と自分を比べてしまうことが多いような気がします。まだ、自分とはどういう人間なのか、はっきりつかんでいないことと、自己確立が十分ではないため、他人と比較することで、自分という存在を知ろうとしているのかもしれません。


 そのため、若い時は他人と比べて、劣等感を抱き、落ち込みやすくなることがあります。誰彼ともなく話す、社交的な人を見ると、「自分は社交的ではない」と落ち込んだり、頭のいい人を見ると、「自分はそんなに頭が良くない」と劣等感を抱いてしまったりします。若い時は特に、感性が強いので、そういう思いにとらわれる傾向はより強いでしょう。


 不登校の状況になる子供たちにも、そういう傾向が強いのではないでしょうか。内省的であり、比較的静かなタイプの子が多いので、社交的で陽気な同級生を見て落ち込んでしまった、という子は多いと思います。そのために「自分はダメだ」という自己否定感を強く持ってしまって、不登校になったり、不登校の状況からなかなか脱出できなかったりすることがあります。


 若い時は仕方のない面もあるのですが、どこかで、「他人は他人。自分は自分」と割り切って、自分は自分の人生を進んでいくほかありません。人間性、個性、才能などは、人それぞれです。長所も欠点も含めたものが、自分自身です。他人と交換できるわけではありません。自分が持っている、人間性、個性、才能を使って、自分の人生を切り開いていくことが、一人一人に与えられた使命です。


 ありがたいことに、すべての人に平等なものがあります。それは一日の時間です。一日が24時間あることは、すべての人に当てはまります。すべての人が、一日24時間という時間を持っています。その時間を使って、努力していくことができるのは、誰にも平等です。もちろん、才能の差もありますから、努力したらすべての人が同じになるかというと、そうではありません。ただ、努力したら、それによって得られるもの、成長できることはあります。


 そうして、人は、自分自身の人生を形作っていくことができます。その人生は、他に同じもののないたった一つの人生であり、他人と比較すべきものではありません。学生時代は、みな同じ学校に通い、同じ授業を受けて、同じ教室で生活していますので、他人が気になりますが、社会に出たらもう、自分は自分、他人は他人の人生となるのです。





 

閲覧数:7回0件のコメント

Comments


bottom of page