たびたびブログで取り上げてきましたが、不登校の子供たちは物事を深く考える傾向があります。そのために、不登校の子供たちの中には、「社会の中で生きる意味って何だろう」と考え、その意味が分からないために、不登校の状況から出る意欲がわかないという子供もいます。そのような子供のために、「社会の中で生きる意味」を伝えてあげるべきでしょう。
私は、すべての人に生きる目的、使命があると考えています。これは、巷でいうところのスピリチュアルでも何でもなく、この世界に生まれてきて、生きていることにおいて、この世界で何らかのことを学び、経験し、そして為すことがあるはずだという考え方です。
この考え方とは逆の考え方が、人は偶然に生まれてきて、そこに生きる意味も目的もないという考え方です。この考え方では、生きることに意欲がなかなかわいてきませんし、生きることに空しさを感じることになります。
どちらが正しいか、これはもう、宗教や哲学の分野に入ってきますので、このブログでは深く立ち入ることはできませんが、私は、すべての人に生きる目的や使命があるという考え方をとっています。その方が、人生を幸福に生きやすいからです。
そして、「社会の中で生きる意味」を考えるためには、この「使命」と合わせて考える必要があります。社会の中で生きる意味とはズバリ、使命を見つけて、使命を果たすということになります。
社会に出る前に使命に出会える人もいますが、多くの場合、社会に出てさまざまな経験を経ることで自分の使命に出会います。もちろん、使命に出会うことなく、なんとなく生きていく人もいますが、社会に出てからも、自分はどう生きるべきかと考え続けている人は、経験を経る過程で、「自分はこういうことをしたい」という思いが強くなっていきます。それが使命となります。
そうして見つけた使命を果たしていくのが、次の段階です。使命を果たしていくということは、他人との関わりで生きていくことになります。
例えば、ある女性が、自分の家庭をしっかり運営し、守っていきたいと願うのでしたら、それが使命となります。その使命を果たすために、家庭という社会の中で、夫や子供たちと関わりの中で生きていきます。
画家になるという使命を持っている場合でも、やはり人との関わりの中で生きることになります。たいてい、絵を描くという行為は一人の中で行いますので、人との関わりはないように見えますが、その絵を人に見てもらい、評価してもらうことになりますので、やはり関わりはあります。
そして、使命を果たす中で、人は充足感と幸福感を得ます。その過程は、決して楽しいことばかりではありません。辛いことや苦しいことにも直面しますが、それを乗り越えていったところに、「自分はこのために生きている」という充足感を得ることができます。
Comments