不登校ブログその843.「自分には希望はない」と嘆く不登校の子に知ってほしい、「希望はそこにあるものではなく、見つけ出し、創り出していくもの」という事実。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2021年7月27日
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不登校という状況に限らず、逆境に見える状況の中では、希望を感じることは難しいでしょう。どん底のように思える状況の中で、周りを見渡しても希望があるようには見えないはずです。「自分には希望はない」と、不登校の状況にある子供が嘆いたり、つぶやいたりすることがありますが、その気持ちは分からなくもないです。
しかし、希望はそこにあるものではなく、見つけ出し、創り出していくもの、というのが、私の考えです。いい環境の中では、希望は自分の身の回りにあるでしょうが、そうでない環境の中では、そこら中にあるというわけではなく、自分にとっての逆境の中から、見つけ出し、創り出していくものだと思うのです。
希望とは何でしょうか。このことについても、いろいろな考え方があると思いますが、私の考える希望とは、「未来での幸福の可能性」です。未来において幸福になると思うと、そこには文字通り、「希望」を感じることができます。
では、未来での幸福とは、何でしょうか。「幸福」ということもまた、人によってさまざまで、「これ」という形で表現するのは本当に難しいですが、たびたびブログでも取り上げてきました、「志」と関わってくると、私は考えています。「こうなりたい」「こうしたい」ということです。その願いを実現することが、未来の幸福ではないかと思います。
「未来の幸福」である「志」は、現在がどのような状況であろうと、誰もが心に描くことができます。もし、不登校になるまでさまざまな挫折や苦しみを経験し、不登校の状況の中で苦しんでいたとしても、その状況の中で志を心に描けます。
もちろん、不登校直後は、すぐには無理でしょう。心のエネルギーが切れていたり、深く傷ついていたりすると、志を描く気持ちにはなれません。その場合は、エネルギーを充填し、傷をいやしてからとなります。
そういうことはありますが、逆境に見える不登校の状況でも、志は描けます。「環境が、状況が良くないと、希望を抱けない」ということはありません。それは、「人の心は環境に支配される」という考え方です。環境が良くなかったら、心もその影響を受け、先には絶望しかない、という考え方になります。そして、その考え方ですと、希望は、良い環境にしか存在しない、ということであり、良い環境に生まれるか、そうでないかで、人生は決まるということにもなります。そのようなことはないでしょう。
自分の志とは何かを見つけ、その志を心に描くということが、希望を見つけ出し、希望を創り出す行為だと、私は考えています。最初から、志がはっきりしているということは、なかなかありません。自分がやりたいこと、なりたいことは、いろいろなことを学び、成長していく過程で見つけていくものです。そして、それを実現しようとすることが、進学し、社会に出ていく目的となります。
志を描く力、希望を持つ力は、すべての人が持っている、心の創造力だと思います。
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