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不登校ブログその881.いじめを隠ぺいしようとする学校の対応―道徳教育が必要なのでしょう―

 いじめに悩んでいる子供や親御さんが、学校にいじめ対応を訴えても、いじめをなかったことにしようとする学校があります。きちんと対応してくれる学校もあるようですが、SNSやブログでの記事を読んでいると、「いじめを隠ぺいしようとする学校への対応に疑問を感じた」ということを書いている方が多いです。


 その背景の一つには、学校に通っている子供たちだけではなく、教師の世代にも「いじめは間違ったこと」「間違ったことは正さなければならない」という善悪の価値観や正義感が、失われているからでしょう。


 ブログで書いてきましたが、戦後の教育では、「戦前の軍国化に教育勅語が影響している」として、道徳教育があまりなされなくなりました。ここでは教育勅語と軍国化の関係について取り上げませんが、教育勅語には道徳面を教える部分がありましたので、教育勅語に時間を割いてきた戦前の教育に比べ、教育勅語を廃止した戦後の教育では道徳教育は薄くなってしまったのです。ちなみに、私は「教育勅語を復活させるべき」という考え方ではありません。


 道徳教育では、「人はいかに生きるべきか」ということを教えます。先ほど挙げました、「善悪の価値観」「正義感」なども、その中に含まれます。道徳教育の薄い戦後の教育を受けてきた人々が、教師となり学校の責任者となるのです。学校から、そうした価値観が失われ、いじめがあっても抑えられなくなり、いじめが起きた時、対応しないケースが多くなるのは、当然といえば当然なのでしょう。


 いじめ問題の場合、いじめられる側は常に少数、たいていは一人です。一方、いじめる側は常に多数です。こういう場合、価値観や理想のない「単純な民主主義」、すなわち多数を常に肯定する考え方では、数の多いいじめる側の方に立つことになってしまいます。少数だろうが一人だろうが、「正しいものは正しい」という正義感をしっかり持つことで、少数である「いじめられる側」の方に味方をし、その失われた権利を回復しようと努めることができます。


 学校でのいじめの多さ、そして、いじめに対応せず、なかったことにしようとする学校の対応は、学校教育に道徳教育を本格的に復活させるべきであることを、示していると思います。こういう善悪などの心を育てる道徳教育は、自我が完成する前の、できるだけ早い段階、幼稚園・保育園から小学校の段階から行うべきです。また、そのような教育を取り入れることで、大人の世代にもある程度、正義感や善悪の価値観などが強くなる効果は期待できます。


 頑張っている教師もおられますし、いじめにきちんと対応している学校もあります。ただ、全体でみるとかなり厳しい状況だといわざるをえません。道徳教育を復活して、教育現場を整備していく必要があります。


 




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