前回のブログで、戦後日本から死生観が失われてきたため、死が少しだけ身近になったコロナ感染の拡大で、パニックになっているのではないかと、死生観を不登校や引きこもりの子供たちにしっかり伝えるべきだということを書きました。今回のブログでは、その死生観についていくつか紹介したいと思います。
死生観、すなわち死というものを見つめた、あるいは死と生とを一体化させて人生を見つめる考え方、価値観です。まず、死を見つめるには、宗教観が必要です。それは、死は、科学からでは見つめることはできず、宗教観からでしか、見つめることはできないからです。「自分は死んだ」という人は、この地上にはいません。死んだら地上からいなくなるからです。臨死体験も、「生」を前提にしていますので、100%の死そのものを体験したわけではありません。宗教によって、死の考え方は若干異なりますが、霊界や天国(あるいは地獄)への出発であるということは、だいたい共通しています。そして、生きている間のことを審判され、天国に行く人と、地獄に行く人とに分けられるということです。
仏教には、そこに転生輪廻の考え方が加わります。一定の期間、天国で過ごすと、また地上に生まれ変わり、さまざまな経験を経て、死を迎え、魂が進化していくという考え方です。一方、キリスト教の場合は、天国に行った人は永遠に天国に住み、地獄に行った人は永遠に地獄の炎を焼かれる、という考え方になります。いずれにせよ、永遠には生きることができないから、限りある人生を精いっぱい生きること、その間に、悪なる行為から離れ、善なる行為を行っていくこと、ということが、この地上での人生の在り方ということになります。
地上での人生よりも、むしろ死後の人生の方が本来の「生」であり、地上の人生は、死後の「生活」を形作る、試験のようなものでしかないということになるでしょう。そう考えますと、コロナ感染拡大で、死というものが身近になっても、パニックに陥ることはないでしょう。そうした死生観を、不登校・引きこもりの子供たちに伝え、あとは自分たちで考えさせて、自らの人生を形作るヒントにしてあげるのが、周囲の人のやるべきことだと思うのです。
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