作曲家のベートーベンはご存知でしょう。偉大な作曲家であり、交響曲第五番「運命」や、交響曲第九番「合唱」は、おそらく誰もが聞いたことのある曲だと思います。私はクラシック音楽のファンですので、他の交響曲もよく聴きます。
ベートーベンの交響曲を聴いていて感じるのは、最初は悲愴な、あるいは苦しい感じの曲調であり、それが最後の方では喜びの感じの曲調に至る、という傾向があるということです。交響曲第三番、第五番、第七番、第九番は、その傾向が強く見られます。
私はクラシックファンではありますが、音楽理論などはまったくわかりません。また、その曲に込められた作曲家の思いについて解説した書物なども、読んだことはありませんので、本当のところは分かりませんが、これらの曲を通して、ベートーベンは、苦しみの中で懸命にもがき、歩んでいくことで、やがて喜びに至ることを、語りかけているように思えます。
苦しみから歓喜へ。
この流れは、生きていくことにも当てはまるように思うのです。生きていて、辛いことや苦しいことは避けられませんが、それらに直面しても、頑張って歩いていけば、喜びに到達することができます。
不登校・引きこもりの子供たちは、まさに苦しみを感じている状況でしょう。ベートーベンの交響曲に例えると、最初の導入部分の苦しみ、第一楽章です。しかし、その苦しみの状況の中でも、一生懸命努力し、歩き続けていたら、やがてラストの第四楽章のように、喜びを感じられる状況に至るはずです。
最初が苦しみ、後に喜び、という流れでは、本当に喜びを強く感じることができます。最初から喜びで、後も喜び、では、後の方の喜びは、それほど実感できないでしょう。
山登りに例えると、頂上まで登り切った時の喜びが大きいのは、そこに至るまでの苦しい過程があるからです。ヘリコプターで頂上に降り立ったとしても、頂上に立った喜びは、さほど感じられません。山のふもとから、歩いていき、落ちそうになりながらも崖をよじ登り、あきらめそうになりながらも、苦しい思いをしながら、登っていく過程があればこそ、頂上で感じる喜びは格別のものになります。
不登校・引きこもりの状況から脱出し、やがて人生の後半では成功者となり、素晴らしい結果を出していければ、その喜びはとても大きいでしょう。
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