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子供を「評価」していませんか?

 みなさんご存知かと思いますが、元フィギュアスケーターの浅田真央さんには、舞さんというお姉さんがいます。舞さんがフィギュアスケートを始めた影響で、真央さんも始め、やがて真央さんは、日本のみならず世界を代表するスケーターになりました。その一方で、舞さんの方は、真央さんの陰に隠れるような形になってしまいました。


 そして舞さんは一時期、グレてしまったそうですが、お母さんによって真央さんと比較され、「お願いだから真央に迷惑かけないで」などと言われたことが、その背景にあるようです。


 二人のステージママという感じで、二人のフィギュアスケート人生を支えてきたお母さんでしたが、外に出てきた情報を見る限り、フィギュアスケートの成績によって、子供たちを評価してしまったところがあるように思えます。


 確かに、フィギュアスケートという物差しで見たら、舞さんは真央さんより劣るのかもしれません。しかし、その他ではきっと、舞さんの方が素晴らしい部分があるはずです。


 いえ、そもそも、いい子だから愛する、ダメな子だから愛さない、ということは、親としては避けるべきことだと思います。


 親であっても人間ですから、出来の良い子がかわいく感じるのは仕方ないでしょう。勉強のできる子、スポーツのできる子、社交的な子ほどかわいく見えてしまうのは、避けがたいことです。


 しかし、親の役割は、子供を評価することではありません。子供を愛することです。評価することは、学校や職場がやっています。


 子供たちの中には、このように話す子もいます。「学校で、成績で評価されるのはつらかった」と。世の中は、ある程度の競争はやむを得ないことでしょう。努力し、結果を出した人が認められるのは、社会の発展のためには、自然なことです。

 ただ、すべての人の心の中には、善なるもの、光り輝くものがあります。人の本質を善なるものと考える性善説、悪なるものと考える性悪説、いずれをとるかと言われたら、私は迷いなく、性善説をとります。時に間違いを犯し、悪を犯すことはあっても、人は本来的には善なる存在です。

 その善なる存在が、周囲の環境などによって花開くことができなかった人が、悪しきことを行うのであり、本当は心の中に、善なる部分が種として、球根として、存在しているのです。


 親は、その子供の中にある、善なるものを信じて愛することのできる、数少ない存在です。子供の出来が悪くとも、時には悪を犯しても、わが子を信じて愛することができるのが、親です。

 もちろん、親として子供に努力することの大切さを伝えるべきですし、悪を犯したら、注意し、叱るべきです。ただ、「あなたはダメな子」と評価することは、すべきではないと思います。



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