最近、レンタルDVDで「うしおととら」を観ています。1990年から1996年にかけて、週刊少年サンデーにて連載されていた漫画で、1992年から1993年にかけて全10話がOVA化され、2015年から2016年にかけて39話がアニメ化されました。私が今、観ているのは、アニメ化された方です。
かいつまんでストーリーを紹介しますと、家の寺の倉庫にあった、開かずの扉を、ふとしたきっかけで開けてしまった主人公の少年「蒼月潮(あおつきうしお)」が、獣の槍によって壁に500年間ぬいつけられていた妖怪「とら」と出会い、さまざまな冒険を重ね、人と妖怪との絆を増やしていって、最後にはいわゆるラスボス「白面の者」を、これまで関わってきた妖怪と人との結束で倒す、という内容です。
金毛九尾の狐をモデルにした「白面の者」は、世界が誕生した時に「陰の気」が集まってできた化け物で、自分以外のすべての存在を憎悪し、消し去ろうとする悪の存在として描かれています。
ラストシーンの冒頭、憎しみにとらわれた潮は、とらと離れ単独で白面の者に攻撃したものの、無敵を誇っていた獣の槍があっさり砕け、一度敗北します。その後、とらも単身で白面の者と闘い、敗れてしまいます。
二人が離れ離れになった間、潮は、とらの過去を見ます。とらももと人間で、赤子のころ、白面の者がこの世に形をなすために寄生され、そのためにとらの周囲の人間が全滅してしまったため、呪われた人間として憎まれ、うとまれます。とら(人間であった頃の名前はシャガクシャ)は、立派な体躯と武術によって国を守る英雄になるのですが、幼いころの思い出から、常に周囲の人間を信じず、さげすんでさえいました。
そんな中、シャガクシャにあこがれる、ある姉と弟(ラーマ)との出会いが、シャガクシャを変えていきます。二人はなんの曇りもなく、純粋にシャガクシャにあこがれ、尊敬して接し、憎しみに満ちていたシャガクシャの心を徐々に溶かしていきます。ある時、姉が土に種を植えながら、「憎しみは何も生みません」と、シャガクシャに語りかけます。
やがて、隣の大国が攻めてきて、なんとか二人だけでも逃がそうとしたシャガクシャでしたが、二人とも目の前で死んでいきます。その時に爆発した憎しみを吸収して、白面の者がシャガクシャの肩から飛び出し、現世での形を手に入れて飛び去ってしまいます。
シャガクシャの体は、白面の者と同じ組成となって永劫の時間を生きていきます。やがて、深山に閉じ込められていた獣の槍を手にして、今の妖怪の姿、「とら」と変化していったのです。
潮の回想は終了し、潮ととらは再び絆を取り戻して、再び白面の者との戦いに加わります。今度は、二人とも憎しみを捨て、他の妖怪たちと人間との絆も取り戻し、総員で白面の者を追い詰めていきます。最終決戦では、白面の者対「うしおととら」コンビのみの戦いとなり、とらは白面の者に、「もうわしは、おめえに対する憎しみはない。おめえはあわれだな」と語りかけて、うしおととらコンビは白面の者にとどめを刺し、勝利します。
「うしおととら」は少年漫画の王道を行くもので、今見ても20年以上前の作品ということを感じさせないものです。そして、そのメインテーマは、「憎しみでは憎しみを消すことはできない」ということだと思います。一度、うしおは白面の者に単身、憎しみによって戦いを挑んで敗れています。また、とらがシャガクシャだったころ、憎しみにとらわれていた時に、ラーマの姉は、「憎しみは何も生まない」ことを諭しています。当時のシャガクシャは理解できなかったのですが、数千年の後、とらとして白面の者との最終決戦の時、ラーマの姉に言われたその言葉を思い出しながら、「もうおめえへの憎しみはない」と語っています。
作者の藤田和日郎氏は、しっかりした人間観、人生哲学を持っておられるようで、「人を殺すなど、悪事を働いたものは、その後改心しても、物語の最後ではしっかり退場させる」「勧善懲悪」などの思想を、物語の中で描いています。「憎しみでは憎しみを消せない」も、その一つです。
人間関係の問題で、不登校・引きこもりになっている人の中には、ある人への憎しみが消せないという人もいらっしゃるでしょう。しかし、「憎しみでは憎しみを消せない」のです。いくら、相手への憎しみを募らせても、憎しみは消せません。
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