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知識教育だけでは、子供たちは幸福になるのに足りません。

 知識教育が重視されている現代です。学校では、カリキュラムの大部分が知識教育に割り当てられていますし、学校を補うための塾も知識を教えるものですので、現代の教育の8~9割は、知識教育と言えます。


 知識は力になりますし、人生を切り開く力にもなりますので、知識教育を否定するつもりはありませんが、それだけでは、子供たちは幸福になるのに足りないと、私は考えています。


 幸福という言葉には、さまざまな意味が含まれていますので、一言で表現するのは難しいです。ここでは、本人が日々充実感を持って生きていて、周囲の人から感謝されている状態と定義します。


 例えば、引退した大リーガーのイチロー選手は、幸福な人でしょう。プロ野球選手として道を究め、偉大な成績を残していて、個人としての充実感はあるでしょうし、その華麗なプレーは世界中の人を魅了し、憧れとなっていて、多くの人から感謝されてもいます。


 知識教育によって、知識や考える力は高くなります。それは素晴らしいことなのですが、現代の教育では、その高まった知識や考える力を使って、どう人生を切り開くかを教える場が極端に少ないのです。どう生きたいか、どう生きるべきかを考えさせるカリキュラムが、ほぼありません。

 知識や考える力は、登山に例えるとロープやハーケンなどの登山道具になります。知識教育をしっかり受けることは、登山道具を数多く手にすることになります。そうなると、登山をするときはとても有利になります。登山技術にもよりますが、基本的には、道具が多いほど、高い山に登れる可能性は高くなります。


 現代の教育で問題になるのは、その道具をもってどのような山に登るという肝心のことを教えていない点です。どのような山に登るか、すなわち、どういう人生を生きたいか、ということです。志です。そのことを教える場がほとんどありません。これは非常にもったいないことです。豊富な登山道具を持っていながら、積極的に山に登ろうとしない、あるいはみんなが行く山だから、自分も行こうということでは、せっかくの知識教育が無駄になってしまいます。積極的に、自分の意志で登るべき山を決め、豊富な登山道具を使ってそこにチャレンジしてこそ、充実感があるのではないでしょうか。


 そして、現代の教育では、他人が競争相手になる面が強く、ややもすると他人を蹴落とし、その不幸を喜ぶという傾向が出てしまいがちです。「幸福とは、自分の充実感と、他人からの感謝を得ること」という定義であれば、他人を蹴落として、その不幸を喜ぶような人は、他人から感謝を得ることはできません。自分の利益だけを求める、エゴイスティック(利己的)な人は、一時的には幸福になるように見えますが、いずれその幸福は失われていきます。他人からの感謝どころか、恨まれたり疎外されたりするからです。


 他人のことを考え、尊重し、その幸福を願うということで、他人から感謝され、幸福になっていくと思うのです。その点が足りないため、知識教育ばかり重視されている現代の教育では、子供たちが幸福になるのに十分ではないと思うのです。




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