どうすれば、教育で、答えのない問題にチャレンジする人材を育てることができるか?
結論から先に言いますと、「志」と「愛」を、教育に取り入れることで、そういう人材を育てることができると、私は考えています。
別の言い方をすると、今の教育には、これら「志」と「愛」という概念が、十分ではないために、そうした人材を育てることができないでいるということになります。
たびたび、教育に関するブログで書いてきましたが、現代の教育では、知識を教えることはできています。しかし、その知識を使って、どう生きていくか、どう生きていきたいかを考えさせるカリキュラムは、ほとんどありません。すなわち、これからの人生において、何をしたいかという志、そのような志を考えさせるカリキュラムがないのです。
「志」に加えてもう一つ、現代教育に足りないものが「愛」です。現代では、「愛」と聞くと、男女の愛情を思い浮かべてしまいますが、「他人の役に立ちたい」「社会の役に立ちたい」という思いも、「愛」だと、私は考えています。
現代の教育では、競争の面が強すぎて、他人を蹴落としてでも自分が這い上がる、という感じになってきています。そのため、受験して落ちた子に対して、合格した子が、さげすんだり、見下したり、時にはひどい言葉を投げかけたりするような状況になっています。そんな教育では、社会の役に立という、というような、愛の思いを持った人間にはなりません。
現代教育にかけている「志」と「愛」、これらを教育の現場でしっかりと子供たちに教えれば、その中から答えのない問題にチャレンジする人材が、出てくると思うのです。
「こう生きたい」「こういうことをしたい」という、はっきりとした人生の目的を持てば、いかなる困難に直面したとしても、その困難を乗り越えようとするでしょう。答えのない問題にチャレンジすることは、困難を乗り越えることでもあります。答えがない問題に取り組むのですから、必然的に、さまざまな困難に直面することになるでしょう。その時、こうしたいという強い思い、志があれば、その困難を乗り越えることができます。
また、「志」、多くの人の役に立ちたい、社会の役に立ちたいという強い願いによって、世界の中で苦しんでいる人、困っている人、助けを求めている人に関心を抱くようになります。そうした人々は、これまで解決できていない問題、社会が十分対応できていない問題によって苦しんでいるのです。そうした人々を助けようという願いを持つことは、未だ解決できていない問題を見つめ、それを解決しようと取り組むこと、チャレンジすることになります。
「志」と「愛」を教育に取り入れることが、答えのない問題にチャレンジし、答えを出していく人材を育てていくことだと思うのです。
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